日本社会にはほとんど定着していない観のある「学位」つまり専門知の品位について考えています。前回まで「学士」「修士」と進んで来ましたが、その上に位置する最高学位「博士」とは何なのか、こうした学位システムが生み出されてきた、中世欧州大学以来のラテン語の語源から確認しなおして、整理してみましょう。
「栄光ある」学士
英語で大学学部卒生をバチェラーbachelorと呼びます。これはラテン語の「baccalaureatus」=ローリエの果実つまり「月桂樹の実」の意が原義で、栄光を勝ち得、月桂冠を持って祝福された若い人、金の卵という意味から名付けられた、フレッシュマンを応援するような名称になります。
ちなみにノーベル賞受賞者はNobel Laureates ノーベルのローリエを冠された者、と呼ばれています。叡智への祝福は古代ギリシャ以来、ローリエと相場が決まっていた。
フランスでは大学入学資格試験を「バカロレア」と呼びますが、これもローリエのバッカbacca果実という言葉がそのまま現代に生きている。そういう次世代育成のシステムが連綿と続いているわけです。
そんな、学術の月桂冠をいただいた若者たちの中でリーダー格、つまり親方、大物と認められた人物を修士=親方つまりマスターMaster(英)/マイスターMeister(独)/マエストロMaestro等と呼んだわけですが、これはラテン語のマギスmagis=英語でいうmore, greater すなわち「より多い」とか、「より優れた」という意味合いの語幹に行為者を表す語尾-ter がついてできた言葉で、栄光ある月桂冠を持つ者の中で優れた者、比較の対象として優位であるというのが元来の意味と知れます。
これに対して博士と訳されるドクターDoctorはラテン語の動詞ドケオーdoceo「教える」に由来する言葉で、より正確にこれを和訳するなら「教授」と記すほうが正確かもしれません。
ちなみに「博士」という言葉の歴史は古く、学問の神様とされる菅原道真=天神様は「文章博士」(もんじょうはかせ)という官職に就いていました。日本が初めて法治国家となった「大宝律令」以降、728年に大学寮紀伝道(文章科)教官のトップとして定員1名で設けられた官職で、その意味ではこれも「教える人」という原義を持つ言葉です。
「大学」とか「博士」といった言葉はすべて、奈良時代には存在したものを明治初期に近代学制の中で定義しなおした、ある意味擬古的な名称ですが、興味深いことにそれらが元来使われていた古代末期、やはり西欧で生まれたユニバーシティの制度と対応させるようにして、訳語が選ばれている。多くは西周(にしあまね)など明六社に集った維新政府初期の教養人の労作と思いますが、由緒正しい言葉が慎重に選ばれているのが解り、大変興味深いです。
国が認める社会的身分
さて、この「博士号」を考えるうえで興味深いのはフランスの博士授与のシステムです。名にし負うカトリック国家で、かつ市民革命を経験しているこの国では、ドクターとは各大学など教育機関による学位ではなく、国が発行する「国家免状」システムで、革命以来の古い伝統を誇るものです。
日本の現行制度に言うなら「医師免許」「司法試験合格」などが国家免状ですから、ニュアンスは解ると思います。実際日本ではお医者さんをさして「ドクター」という。それはつまり一定以上の保証された社会的地位を示し、学位保有者はそれに相応する収入や職位が終生保証される、またそれだけ社会が大切にしなければならない知的存在として、人々もその価値を実感をもって認めていた。そういう側面を確認しておきましょう。
すでに半分死語になっていますが「末は博士か大臣か」という明治以降の表現があります。博士になるというのは、大臣になる、つまり閣僚経験者になるのと同じくらい可能性の少ないものだった。
一度閣僚を経験すれば、特段の事由がない限り、年金など含め生涯にわたって生活の保証や社会的な優遇、重用などが、現在の日本にもあります。1898年に定められた改正学位令で博士号は、帝国大学の所定の試験などに合格した者に対して、文部大臣が授与するものとされ、また今からちょうど100年前の1914年には学位の栄誉を汚辱した者はこれを剥奪する、などの罰則規定も設けられました。
つまり一世紀前の博士号は国がごく少数出す特別な栄誉資格だったわけです。
ところがほどなく大きな変化が現れます。最初の契機は1920年、いわば大学バブル、学位バブルと言うべき事態が、第一次世界大戦後の日本に訪れるのです。
実はこの年「大学令」が発効しました。それまでは帝国大学しか存在しなかった日本に私立大学という制度が導入され、慶應義塾や早稲田大学も晴れて日本国内で大学の資格を認められたのがこの年だったのです。
学位自由化の原点でもあり、また早稲田に淵源をもつSTAP捏造細胞詐欺の大きな意味での出発点も、この「1920年の教育改革」大学令にすべての芽が準備されました。
自由化。それはまさに、知の品格そのものを、各教育機関に問いかける契機になったのでした。
(この項つづく)
伊東乾の「知の品格」
vol.5 学位の品位はどこに(3)
執筆者プロフィール
伊東乾 Ken Ito
作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
経 歴
1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒
業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後
進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア
ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの
課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ
た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな
ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経
BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。
(2014.7.2)