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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

艱難辛苦を乗り越えて
目指すは日本一の旅館

 

苦境を支えてくれたのは慶應時代の友人たち

 
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畑山 吉田社長は、生まれてからずっとこちらに?
 
吉田 いえ、高校は慶應義塾高校、大学はそのまま慶應義塾大学商学部に進学しましたので、高校からはしばらく東京で過ごしました。大学卒業後、両親からはすぐに石川に戻るよう言われていたんですよ。でもすぐに帰るのが嫌で、こっそりJTBの試験を受けて内定をいただきました。両親も一番のお取引先であるJTBなら内定をキャンセルしろとは言わないだろうと思いまして(笑)。思った通り、「JTBさんに合格したならしっかり働いて来い」と言ってくれました。
 
畑山 確信犯ですね(笑)。その後、せっかく入ったJTBをお辞めになったきっかけが気になります。
 
吉田 それは、実家の旅館、当時の名前でいうと「ホテル百万石」の破綻です。業績があまり良くないというのは聞いていました。でも、まさかそこまでとは思っていなかったもので、かなりびっくりしましたね。
 
glay-s1top.jpg インテリアの細部まで雅趣に富んだロビー
インテリアの細部まで雅趣に富んだロビー
畑山 ご実家の破綻とは一大事でしたね・・・。それで石川に戻ってこられたと。
 
吉田 はい。ホテルを存続するにあたって、百万石アソシエイトという別の運営会社をつくることになったので、私もJTBを辞めてそこに入社することになったんです。それが2011年4月のことでした。でも、それから約1年で百万石アソシエイトも立ち行かなくなり、2012年9月にはクローズしなければならなくなったんです。
 
畑山 1年ちょっとでクローズですか。それは大変でしたね。
 
吉田 当時は全責任を私が負う形になりましてね、本当に大変でした。振り返って、よく首をくくらずに済んだなと今でも思います。そのときに支えてくれたのが、高校・大学と苦楽をともにした仲間たちだったんですよ。
 
畑山 と、言いますと?
 
吉田 実は当時、友人たちが「吉田シフト」なるものを組んでいてくれていたそうなんです。みんながシフトを組んで、私に毎晩連絡をくれていました(笑)。苦境に立たされている私を日替わりで励ましてくれていたんですよね。
 
畑山 まさに、持つべきものは友ですね! 周りの人たちから愛される、吉田社長の人柄もうかがえるエピソードです。