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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
インタビューの中で、何度も「自信を持つことが大事」だと話してくれた野口さん。どのように自信をつけていたのかも語っていただいた。
 
 

走った距離を数字で確認する

 
1日の練習は大体3回に分けて行っていました。そのほかに、自分で時間をつくって自主練習もするんです。私が意識していたのは、距離を稼ぐこと。通常の練習メニューにプラスして1日10km、ときには15kmほど走ることもありましたね。それを、監督と交換している練習日誌に記入するんです。
 
マラソンランナーは、よりたくさんの距離を走ることによって足がつくられていくと考えています。練習のときにどれだけ走ったかは自信にもつながりますし、距離を稼ぐことにはこだわっていました。レースの前は、3ヶ月ほどかけて体をつくっていきます。その3ヶ月間で、どれだけ納得のいく練習を行い、どれだけ距離を稼いだかが自信になるんです。
 
2004年にアテネオリンピックに出場した際には、3ヶ月の練習期間の内、最も多い月で合計1370kmを走りました。だから、スタートラインに立ったときに「出場選手の中で、私が一番きつい練習をしてきたから大丈夫」と自信を持てたんです。完璧に近い練習を行えたから、早く走りたいとワクワクしてスタートを待っていましたね。
 
アテネオリンピックでは、30km地点でラストスパートをかける人が多いのではと予想が立てられていました。その地点から長い下りが始まるんですよ。でも、私は上りが得意なタイプだったので、監督に「25kmの上りが始まる地点で、ほかの選手よりも早くスパートをかける」という指示を受けました。
 
実際に私がスパートをかけたときは、ほかの選手は意表を突かれていたと思います。とにかく必死で逃げ切りましたね。ラスト2kmくらいになったときは、日も落ちかけていて街灯がつき始めていました。その明かりが、誰もいない道路を照らして白く輝いているんです。グッとこみ上げるものがある光景でしたよ。
 
そうしてパナシナイコ競技場に入ると、観客のみなさんが総立ちで待っていてくれたんです。まるで地鳴りのような歓声が聞こえて、思わず手を挙げて応えてしまいました。レースを終えてから気付いたのですが、そのとき後ろを走っていたキャサリン・ヌデレバ選手が20秒差まで詰めてきていたんですよね(笑)。トラックを走っているときに我に返って、ペースを上げてゴールしました。
 
ゴールテープを切る直前は、喜びとともに寂しさも感じました。私は2000年のシドニーオリンピックで高橋尚子さんが金メダルを取った瞬間を見て、「私もこの大歓声を独り占めしてみたい」と思っていたんです。「その瞬間が今なんだ」「この瞬間で終わってしまうんだ」と思うと、もったいないと感じましたね。
 
 
2016年に名古屋で行われたウィメンズマラソンを最後に引退した野口さん。インタビューでは「悔いの残らない選手人生を送れた」と話してくれた。
 
 

足が壊れるまで走りきった

 
私がずっと持っていた目標は、どういった記録を残したい、どんな舞台に出たいというよりも、自分が納得できる形で引退を迎えたいというものだったんです。だから、まったく悔いは残っていません。足が壊れるまで走ることができましたからね。
 
オリンピックで金メダルを取ったことや、日本記録、アジア記録を持っているという結果ももちろん大切です。でも、何より大事なのはそこに至るプロセスだと思うんです。そのすべての積み重ねがあったからこそ、納得のいく選手人生になったんだと考えています。
 
現在は、指導者にちょっと近い立場と言いますか・・・アドバイザーとして現役選手にさまざまなアドバイスをしています。監督やコーチよりも選手目線で、彼女たちのお姉さんのようになれたら良いなと思っています。
 
具体的には、選手時代の経験や学んできたことを伝えていますね。女性選手特有の体の悩みなども、私のわかる範囲で力になりたいと思っています。そうして競技から少し離れてマラソンに関わると、今までとはまた違う目線で競技を見られるようになっておもしろさを感じているんです。より広い視野でマラソンと関われるようになりましたね。