困難を前にして諦めない、逃げ出さないというのは非常に難しいことだ。しかし、野村さんはいつでも、そうした状況に正面から向き合い乗り越える努力を続けてきた。では、投げ出して諦めてしまう人と野村さんとの間に、どのような違いがあるのか。
自分が納得できる一瞬のために!
僕は自分の決めた道をひたすら突き進む生き方を選んでいますが、途中で方向転換して別の道で大成する人もいるから、逃げたのか逃げていないのかということは、一概には言えません。僕の場合は要するに、自分が大好きなんですよ(笑)。壁にぶちあたった時に自分を嫌いになりたくないからこそ、逃げないんです。
でも、時には立ち止まったり、後ろに下がったりしなくてはならない時も人生には必要です。先ほども言ったように僕自身も2連覇後、現役続行を決めかねてアメリカ留学という形で海外逃亡した(笑)時もあります。ただ、その時期に学んだこともたくさんあって、それが後の柔道に活きていますし、最後はきちんと決断して一歩を踏み出し、途中で投げ出さずにやり遂げてきた。そうしたことを繰り返しながら、僕は強くなってきました。
どんな仕事でも、真剣に取り組めば取り組むほど、あまり楽しさを感じられなくなってくるものではないかと僕は思うんです。それに、自分が強くなればなるほど、その境地を共有できる人がいなくなってくるから、孤独を感じざるを得ないこともある。だから正直言って僕は、柔道をやっていて楽しくないことも多いです。
楽しむと言ったって仲間と騒いだりして遊ぶのとはわけが違うし、そもそも、仕事の楽しみってそういうものではないと思います。本当に数年に一度くらいしか味わえないことですけど、やっぱり、自分自身の努力が実って成果が出たり、成長を実感したりする時の達成感や感動というのは、何物にも代え難い瞬間であることは間違いありません。僕自身は、その瞬間を求めて柔道を続けているんです。
自分の年齢と、繰り返し怪我に見舞われてきたここ数年のことを考えると正直、いつ現役生活に終わりがきても不思議ではありません。だから、なんとか自分の燃え尽きることのない心に、体がついてきてくれるように努力を続けるだけです。そして、素晴らしい緊張感とプレッシャーの中に身を置けるトップレベルの試合で、「これが俺の柔道だ!」と自分が心底納得できる柔道がしたい。その瞬間を掴むために、これからも精進していきます!
(インタビュー・文 佐藤学 /写真 Nori/スタイリスト 鈴木肇)
野村忠宏(のむら ただひろ)
1974年12月生まれ。奈良県北葛城郡出身
祖父は柔道場の館長、父は天理高校柔道部元監督、叔父はミュンヘンオリンピック軽中量級金メダリストという柔道一家に育ち、物心ついた頃には柔道を始めていた。
天理大学時代の1996年に全日本選抜体重別選手権で優勝し、頭角を現す。奈良教育大学大学院を経てミキハウスに所属。
アトランタ、シドニーとオリンピック2連覇を達成した後、アメリカ留学を経験する。2年のブランクを経て復帰し、アテネオリンピックで3連覇を達成した。
その後、4連覇を目指し北京オリンピックへ向けて順調に駆け出したものの、2007年に右ひざの靭帯を断裂。2008年に手術を行う。
リハビリを経た復帰後も右肩の怪我に見舞われるなど苦闘が続くが、40歳になった現在も現役としてトレーニングに励んでいる。著書に『折れない心』(学習研究社)がある。
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(取材:2015年2月)