宮崎をどげんかした男の
不屈の政治家魂とリーダー論
メディアでの県のアピールが成功したこともあり、宮崎は政治汚職事件の印象を払拭するかのようにまとまってきた。そうして 「宮崎県のリーダー」 の地位を確立した東国原氏の前に、最大の難局が襲いかかってきた。口蹄疫問題だ。立ちはだかる壁の前で、県知事として心を折ることは許されない。ニュース・報道で見ている側にも、その不屈の闘志は伝わってきた。その時モチベーションの源になったのは、何だったのだろうか?
モチベーションは「日本が好き」
間違いなく言えるのは、郷土愛とか地域愛とか、国を愛する気持ちとか、そういったものを私が持っていることです。私は郷土、地域とかが好きなんですよ。そして人が好きです。日本国が好きです。日本は自分が生まれ育ったところで、美味くて安全な食、きれいな空気と景色、美しい四季があるところです。そして私は、日本人としての感性すべてが好きです。今回の東日本大震災では「日本人は素晴らしい」と日本人の国民性を賞賛する外国の評価が多数ありましたが、彼らが賛美した忍耐力、素朴さ、結束力の他にもいっぱいいいところを日本人は持っています。
たとえば、あまり論理的ではないかもしれないが、とても風情的であるところとか。抽象的だけど、わび・さび、道徳や倫理を大事にするところとか。そういったものを総じて私は日本が好きなんです、意外かもしれませんけどね(笑)。 そして、宮崎という郷土が好き。だから、そこを護るというか、そこで暮らしている人々を護る、地域を護るということが自分の最大の使命であり、モチベーションになっていますね。
どうも政治家というのは、役職が好きな人が結構多かったりするものでして、地位とか役職とか名誉とかを優先するきらいは否定できません。でもね、そんなのいらんのですよ。暮らしている人々が生き生きと安定的に安全に、やすらかで活力に満ちた生活ができること。皆さんが自信と誇りを持てること。そういうことしか考えてないんです。
先ほどの空気を読むことに続きますが、地域づくりというのは、私が一人で旗を振っていたってなんにも前に進まないわけです。そこで活動し、生活している人たちが動きやすくならないと、地域や県、ひいては国が脈動していかないんですね。組織も団体も産業も学校も企業も、人が回しているものですから。だから、皆さんに、どうやる気を起こしていただくかが大事だった。県をメジャーにするために、宮崎の地鶏やマンゴーをアピールするのは、そういう誇りや元気につながるという意味で、目に見えてわかりやすい方法だったんです。
行政のプロではなく、地域の皆様のために一生懸命やっているだけ――それが東国原氏のスタンスだ。「できないこともあるし、知らないこともありますが、でも一生懸命勉強しながら、体験しながら、壁にぶつかりながら、右往左往しながら、試行錯誤しながら、頑張っている」との言葉には、そのスタンスに裏がないことがよくわかる。そうした純粋な想いゆえに、宮崎県のトップに立った当初は驚くような体験をしたとのこと。最後に、その当時のエピソードをまじえて語ってもらおう。
リーダーは天上人にあらず
県知事になって何に驚いたかって、トップ、つまり知事の声が 「天の声」 と表現されていたんです。つまり知事というのは雲の上の人だと。住民サービスの直近のところは市町村がやりますよね。県庁などはよほどの用事がない限り、なかなか県民の皆さんが直接訪れるところではない。そこで 「県知事って、いったい何なんだ?」 と聞くと、霞がかかった雲の上にいる天上人のように見られていたわけです。
だから私は、そんなことはないと証明するために、あえて “地上に” 立ってやろうと思ったんです。もちろん、そこでも批判はありました。格式がない、品格がない、ちょろちょろ動きすぎだ・・・etc。現場主義を掲げて県内を回っていると本当にそういう声が出てくるんですから、おかしいでしょ(笑)。 批判する側としては、知事たる者は県庁の椅子にふんぞりかえって収まっていてほしいわけです。どしんと構えてハンコを捺して・・・・・・。汚い言葉ですが、「クソくらえ」 って心の中で思いましたよね。だったら私が新しい知事像を作ってやろう、政治行政をもっと身近なものにしてやろう、と。身近というのは、住民との距離感やその他も全て含めてです。よく県民目線とか住民目線と言いますけど、実際そのとおりをやってやろうと考えていました。でなければ、誰がなっても同じだというあきらめ感や閉塞感につながってしまうじゃないですか。
このスタンスと、空気を読む力に磨きをかけて、国民・住民の皆様が何を欲せられているのかを的確に察していく努力は、今後も怠らないつもりです。我々は供給体制なので、需要があって供給がある。それが、リーダーとしてだけでなく、一人の政治家として、今後も決して失うことがない私の信念です。
(インタビュー・文 新田哲嗣 / 写真 Nori)