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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

新しい3Kを社名に込め 荷揚げ業界の現状を変革
株式会社三啓 代表取締役 川田弘夢

 
プロフィール 京都府出身。料理人を務めるも、結婚して子どもに恵まれたことをきっかけに転職を考えるように。10代の頃にアルバイト経験のあった荷揚げの仕事へと転身した。厳しい労働環境や待遇に悩むことが増え、2019年に個人事業主として独立。人手が必要な現場も一人で挑み、信頼を高めていった。その後、2022年に(株)三啓を設立。関西エリアを中心に、遠方の現場でも荷揚げを手がけている。【ホームページ
 
 
 
建築現場に重量物を運び込む専門職が荷揚げだ。京都市を拠点にこの荷揚げ業務で活躍する株式会社三啓。川田弘夢代表取締役はベテランと若手を組ませるなど、さまざまな工夫で安全×スピード×高品質な施工を実現。デザイン事業で写真撮影やチラシの制作も手がけ、アパレルや飲食業にも挑戦したいと意欲を燃やす。それは、荷揚げ業界に“稼げる”、“休暇がある”、“希望が持てる”という、新しい3Kを根付かせるためだと語ってくれた。
 
 
 

人手が必要な現場も一人で挑み、信頼を得る

 
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インタビュアー 濱中治(野球解説者)
濱中 京都市下京区に拠点を置き、工事現場の揚重業務や建築現場を潤滑に動かすサポートを手がける株式会社三啓さん。そのほか、チラシのデザインや写真撮影など、クリエイティブ業務も展開中ということで驚きました。まずは、川田社長の経歴を教えてください。
 
川田 もともと私は料理人だったんですよ。しかし、結婚して子どもに恵まれると、夜間の勤務が長い飲食店の仕事がつらくなりましてね。昼間のうちに働いて、夜は早く帰宅できる生活にシフトしたくなったんです。そこで、10代の頃にアルバイトをしたことがある荷揚げの経験を生かして転身しました。ただ、いろいろな問題があったんです。
 
濱中 どのような課題に直面したのでしょう。詳しく知りたいですね。
 
川田 まず、京都から大阪へ行き京都に戻り、また大阪に行って次は彦根というように、現場をたらい回しにされる毎日が当たり前だったんです。それでいて、給料が安く限界に達した私は別の会社に転職しました。それでも待遇は変わらなかったんです。むしろ、ストレスが溜まる一方だったんですよ。
 
濱中 荷揚げはとてつもない重労働ですから、もっと働きやすい環境がほしいですよね。
 
川田 そうですね。やがて、自分の力で頑張ろうと決意した私は2019年に個人事業主として独立したんです。通常なら4人の人手が必要な現場も一人で挑み、信頼を高めていきました。おかげさまでみるみるうちに仕事が増え、半年後には知人や協力会社の職人にも応援を頼むようになりましてね。人のつながりで、スーパーゼネコンさんの現場など大きな仕事も手がけるようになりました。