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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

地域に愛される味を守り 革新を目指す和菓子職人
株式会社菓匠庵白穂 代表取締役 新澤貴之

 
プロフィール 大阪府出身。1998年、高校卒業後に千葉県の和菓子店に5年契約で修業に出る。しかし翌年に先代の父が急逝したため家に戻り、1981年創業(株)菓匠庵白穂の2代目に就任。独学で勉強を続け、2001年の大阪菓子審議会年間賞の最優秀賞を皮切りに、数々のコンペで受賞を果たす。地域密着型店舗を続けつつ、講師業や製菓技術指導、あんどーなつ専門店「あんでぃ」のFC展開など活動の場を広げている。【ホームページ
 
 
 
父の急死を機に和菓子店の2代目となった株式会社菓匠庵白穂の新澤貴之代表取締役は、店の再オープン時にできた行列に、父が築き上げてきた地域との信頼を「裏切れない」と感じたと語る。和菓子職人としての経験は浅く、商品はわずか3品ほどなのに行列ができた奇跡に、地域への恩返しを胸に誓った。その後、夜な夜な一人で練習と研究と続け、和菓子コンペで大賞をもらうまでに成長。和菓子業界の風雲児とも呼べる新澤社長に注目だ。
 
 
 

父の遺志を継ぎ、和菓子屋2代目に就任

 
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インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
畑山 東大阪市若江本町で和菓子の製造・販売を手がけている、菓匠庵白穂さん。こちらはいつ頃創業なさったんですか?
 
新澤 1981年に父が創業し、現在、私で2代目になります。ここの店舗へは、2008年に移転してきたんです。私の父は1999年に46歳で突然他界してしまい、当時、私は19歳でした。店は父と母とパートさんの3人体制で小規模だったことから閉店についても話し合ったのですが、地域の皆さんへの恩返しとしてやるだけやってみて、結果が付いてこなかったらその時は閉店しようと決め、何とかこれまでやってきた運びです。
 
畑山 なるほど。波乱万丈の2代目スタートだったのですね。でも、今はとても順調そうに見えます。もともとお店を継ぐおつもりだったのですか?
 
新澤 いえ、私はそれほど和菓子職人に魅力は感じていなかったんですよ(笑)。高校卒業後に特にやりたい仕事もなかったことや長男だったこともあり、家族と相談のうえ、継ぐ方向になりました。それから父が関東で修業先を決めてくれ、私は5年契約で就職したものの、2年目に父が亡くなってしまったんです。
 
畑山 そのような経緯があったのですか。とはいえ、現在はお父様の思いをしっかりと受け継がれているのですから、ご立派ですよ。