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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

独自のノウハウが光る
障がい児の豊かな放課後

 

コンサルタントとしての一歩目はどん底に

 
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宮地 退職してコンサルタントの方に師事するなんて、思い切りましたね。順調にいきました?
 
関根 いや、大手商社からも出資してもらい、師匠と一緒にコンサルティング会社を設立したまではよかったのですが、うまくいきませんでした。バブル景気の終わり頃で「会社を大きくするのがいいことだ」と思い込んでしまっていたんですね。半年間で社員を20人採用するなど無茶ばかりして、経営状態がどうにもならなくなってしまいました。
 
宮地 でも、その経験から得たものは大きそうですね。
 
関根 ええ。人材育成や組織を運営することを知らずに、会社経営なんかしてはだめだとわかりました。私は負債を背負ってその会社から退社したのですが、当時考えていたのはどのように負債を処理するかだけ。そんな毎日に、どんどん自分の仕事レベルが下がっていくのがわかりました。
 
宮地 関根社長は、そんなどん底から這い上がってきたんですね。すごい精神力だと思います。
 
関根 何とか持ち直したくて、私のことをよく知っている友人と、1989年にコンサルティング・フェア・ブレインという会社を立ち上げました。企業の経営改善や企業向けの講演会やセミナーなどを手がけていまして、私の本業はその会社の仕事なんですよ。
 
宮地 そんな関根社長が、障がい児施設の運営を始めたのはなぜなのでしょう。
 
関根 企業の役員さんを相手に「経営とは何か」なんて偉そうなことを喋っているのに、自分で経営ができなかったら説得力ありませんよね(笑)。それで、福祉系のNPOで会長職をしていたので、その経験を活かして、自分自身の成長のためにも、一般的に難しいといわれる株式会社化での障がい児施設の経営に挑戦しようと思ったんです。
 
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宮地 そのNPO法人でも、いろいろなご経験があったようですね。
 
関根 はい。現在では会長職を拝命していますが、以前は、善意や手弁当頼みの運営で資金不足になっていて、収入増も支出減も手の打てない経営状態でした。それで結局、利用者の方全員に料金の値上げを丁寧にお願いするのに2年、人件費を下げる施策について関係者全員に納得していただいて改善に着手するのに、2年の時間がかかりました。理事や職員、利用者や行政などが絡んだNPOの方向性がまとまるとは、それくらい難しいことなんです。でも、そのことこそが、私にとって素晴らしい経験でもあるんです。