1979年、千葉県生まれ。15歳でボクシングを始め、17歳でキックボクシングに転向。1997年、全日本キックボクシング連盟でのプロデビュー戦で鮮烈なKO勝ちを収めてデビュー。2000年、K-1 WORLD MAXの前身 『K-1 J・MAX』 で王座奪取に成功し、一躍注目を浴び始める。その後、舞台を 『K-1 WORLD MAX』 に移し、2003年には念願の王座に輝いた。2004年からは 『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』 にも参戦するようになり、K-1 WORLD MAXを含めると、アルバート・クラウス、マイク・ザンビディス、ブアカーオ・ポー.プラムック、山本 “KID” 徳郁、アンディ・サワー、佐藤嘉洋、川尻達也ら国内外の猛者と格闘技史に残る激闘を繰り広げた。2009年12月31日、さいたまスーパーアリーナで開催された 『Dynamite!! ~勇気のチカラ2009~』 でアンディ・サワーとの試合を最後に引退。2012年、K-1のエグゼクティブプロデューサーに就任し、新たな格闘技の潮流を引き寄せるキーマンとして注目を浴びている。
格闘技イベント 「K-1」 のリングの上で数多の猛者と激戦を繰り広げ、勝利と栄光をつかんできた男。彼の前に立ちはだかったのは、ひとまわり以上も体格の大きい相手ばかりだった。だが、試合前のインタビューでは自信に満ち溢れた言葉の矢を放ち、リングの上では電光石火の如く相手を倒し、勝利を手にする。その姿に、人々は熱狂した。
同時に、華やかな舞台にいる彼がストイックなまでに自分を追い込み続ける姿を見て、誰もが感じていた。「なぜ、そこまで強い精神を保てるのか」。勝者のメンタルを保ち続けることは決して楽なことではないはずだ。孤高の存在であり、常に勝利に餓えていた男・魔裟斗。まさに取材当日、一児の父となった 「反逆のカリスマ」 が、男として、大人として 「真に心強きこと」 についてその本質を語った。
同時に、華やかな舞台にいる彼がストイックなまでに自分を追い込み続ける姿を見て、誰もが感じていた。「なぜ、そこまで強い精神を保てるのか」。勝者のメンタルを保ち続けることは決して楽なことではないはずだ。孤高の存在であり、常に勝利に餓えていた男・魔裟斗。まさに取材当日、一児の父となった 「反逆のカリスマ」 が、男として、大人として 「真に心強きこと」 についてその本質を語った。
観客を楽しませてこそプロ
基本的に、格闘家である以上、試合に勝つことは当たり前だと思っていました。負けることなど考えられないんです。「勝利」 というものは前提で、「どのような勝ち方をするか?」 が、私にとっては一番重要でしたね。デビュー直後はとにかく試合に勝てばいい、勝てばチャンスがやってくると考えていたのですが、次第に 「お客様に楽しんでもらいながら勝つ」 というスタンスに切り替わっていきました。
ですので 「勝ち方」 にも、私なりの美学のようなものがありましたよ。お客様に盛り上がってもらうために、できれば倒して勝つことを常に狙っていました。ノックアウトをとるためには常に攻撃をし続けなくてはいけません。攻め続けていると相手からいい一発をもらう危険もありますが、お互いが守りあって盛り上がりのない試合になると、お客様としては面白いと感じられないはず。見ている方が 「魔裟斗の試合は誰の試合よりも面白いな」 と感じてもらえないと、次の試合を見てもらえなくなりますからね。
格闘家は、必ずお客様を意識しながら闘う義務があると私は考えています。自分のプライドだけをかけた戦いであれば、それこそ二人きりで巌流島でやっていればいい。でも私はそういう 「勝負」 をしたいのではなく、仕事として 「ファイター」 をやっているわけですから、お客様の求めるものを提供しなくてはいけないでしょう? ストイックな練習もやってきましたが、すべてはその意識が根底にありました。
現役を終えて 「K-1」 のプロデューサーになっても、やはりお客様の視点を大事にしています。対戦カードの組み方、プロモーションとしての 「あおり」、会場演出・・・ それらのワクワク感を大事にして、大金を稼ぐことができるスター選手を育てていくのが今の私の役割です。やはりお客様あっての興行ですからね。あるべき道を、後進に伝えていきたいと考えています。