プロフィール 大阪府出身(出生は鹿児島県)。東海大学付属仰星高校から大阪体育大学に進学し、大学3年時に日本代表に選出。1997年に出場したインターコンチネンタルカップ決勝では、当時国際大会151連勝中だったキューバから先発勝利をあげ、注目を浴びた。ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名(逆指名)を受け、1999年に入団。ルーキーイヤーに20勝投手となり、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠を獲得し、新人王と沢村賞も受賞。翌2000年は肉離れのため登録抹消となるなど、ケガに苦しむシーズンを送る。2002年には再び17勝をあげ、優秀選手賞を受賞。2004年にはアテネオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダル獲得に貢献。2006年のワールド・ベースボール・クラシックでも日本代表のエースとしてチームを優勝に導いた。2008年にFA権を取得し、翌2009年にボルチモア・オリオールズに入団。ベテラン投手の一人としてチームを牽引している。
いま、多くの日本人プロ野球選手がアメリカに渡り、活躍している――。夢や憧れではなく現実的な目標となった、メジャーへの挑戦。ボルチモア・オリオールズの上原浩治投手も、2009年からその足跡をメジャーリーグに刻んでいる。読売ジャイアンツ時代をはじめ、上原選手の活躍ぶりは、もはやここで語る必要はないだろう。だが、忘れてはならないことがある。成功の裏には数多くの悩みもあったはず。自身が 「雑草魂」 という座右の銘を標榜しているとおり、苦難の時代もあった。葛藤し、もがき苦しみながらも自分を見失わず、日本球界のエースと呼ばれるようになったその道のりは、どんな道のりだったのか。どのように自分を奮い立たせ、闘い続けてきたのか。――アスリートからビジネスに通じる成功のヒントを聞く第三弾。野球人・上原浩治の生き方に、今を闘うための 「モチベーションの源」 を探る。
落差の経験と、気付いたこと
僕が野球選手として注目を集め始めたのは、やはりドラフトのときでしょうね。それまで大学で野球をしていたときは報道陣の目もなかったですから。でも、注目されるということは、人からいろいろ言われるということですから、もろ手を挙げて喜べるかというとそうでもない。成績が出ているときはいいんです。一年目は20勝をあげられたのでよかったですが、二年目はケガをしてしまったこともあり、真逆の成績に終わった。成績が出てナンボの世界ですし、ましてやジャイアンツは、とにかく注目されるチームです。悪い記事をいろんなところで書かれました。それを見るのは、やはり気持ちのいいものではないですよね。でも、勝てば勝ったで、いいことを書いてくれますから、もちろん励みにしています。その落差といいますか、いいときと悪いときの違いを最初の二年間で体験しました。
それと、自分が好きなことを仕事にすると、無邪気には楽しめなくなるんだなということも実感しました。草野球のように仕事に関係なくやる野球はすごく楽しい。だけど、仕事となるとそうじゃない。この気付きは、その後の野球人生においても重要な経験になっています。
それと、自分が好きなことを仕事にすると、無邪気には楽しめなくなるんだなということも実感しました。草野球のように仕事に関係なくやる野球はすごく楽しい。だけど、仕事となるとそうじゃない。この気付きは、その後の野球人生においても重要な経験になっています。
プロの野球選手である以上、勝利への貢献は絶対的な条件だ。「勝ちたい」という強いモチベーションを持たなければ、プロの世界では勝利はもたらされない。その貢献ができないときは、奈落へと突き落とされる。上原選手も二年目で奈落を味わったが、そこで心が折れることはなかった。上原選手のモチベーションは、どこからやってくるものなのだろうか?
野球を続けたい一心
現実的な話として、仕事をして結果を出せば単純に給料は上がりますよね。それは、プロ野球でなくても、ビジネスの世界では当然のことだと思います。プロ野球であれば、試合に出て成績を残す。すると、給料が上がっていく。反対に、ケガをしたり、調子を落としたりして試合に出なければ当然給料は下がっていく。そしてマイナスの状態が長く続くと、いつかはクビになってしまう。ごく簡単な話です。
僕の場合はまず何より野球を続けていきたいという気持ちが強かったので、そのためにも、負けるわけにはいかなかった。たとえば、どんな仕事についている人でも、オンとオフの切り替えをするじゃないですか。僕もその必要を教えられてきました。だけど、野球が頭から完全には離れないんですよね。必ず頭の片隅に野球のことがあって。で、あるとき気付いたんです。自分は19歳のときに野球ができない一年があった。浪人生だったから仕方がないのですが、そのとき、まったく先が見えなかったんです。プロとしてやる云々よりも、自分の人生の方向すらちゃんと見えませんでした。なので、そうやって自分の好きな野球というものにいい意味で縛られている事実を幸せに思うように、考え方を変えたんです。これが良かったと思います。
僕の場合はまず何より野球を続けていきたいという気持ちが強かったので、そのためにも、負けるわけにはいかなかった。たとえば、どんな仕事についている人でも、オンとオフの切り替えをするじゃないですか。僕もその必要を教えられてきました。だけど、野球が頭から完全には離れないんですよね。必ず頭の片隅に野球のことがあって。で、あるとき気付いたんです。自分は19歳のときに野球ができない一年があった。浪人生だったから仕方がないのですが、そのとき、まったく先が見えなかったんです。プロとしてやる云々よりも、自分の人生の方向すらちゃんと見えませんでした。なので、そうやって自分の好きな野球というものにいい意味で縛られている事実を幸せに思うように、考え方を変えたんです。これが良かったと思います。