栂井 はい。実は私自身、ギャンブル依存症当事者なんです。子どもの頃は、親の前では努めて優等生でいようとする子どもでした。幼い頃に家から追い出されたことがあり、いい子でいないと捨てられると思っていたくらいでして。でも高校生になった頃、そういう生き方がしんどくなっていたところでパチスロに出会い、次の日にはもう学校をサボってパチンコ屋に行くようになっていました。父親が大のギャンブル好きだったので、英才教育を受けた部分も大きかったかもしれません(笑)。
タージン 今だから笑って話せるのでしょうけど、そこからが大変だったわけですね。
栂井 泥沼でした。家族のお金に手をつけ、どうにか入れた大学にもあまり行かず、1年半で中退してしまいました。
タージン 良くないことをしているとわかっていても、やめられないと。
栂井 ええ、自分のような人間が生きているのは世の中にとってマイナスだと思い込み、申し訳ない、死にたいという気持ちを抱えていました。
タージン 依存症は怖いですね。そんなギリギリの状態から、どうやって立ち直ったんですか?
栂井 依存症をサポートしているクリニックに行き、依存症当事者が集まる自助グループにも参加して、苦しんでいるのは自分だけじゃないとわかってホッとした部分もありました。ですが、依存を完全に克服することはできなかったんです。そうした状況を変えられたきっかけは23歳の夏、母親が連れてきた依存症回復支援施設の人と話して、施設でプログラムを受けようと決断したことです。
栂井 依存症をサポートしているクリニックに行き、依存症当事者が集まる自助グループにも参加して、苦しんでいるのは自分だけじゃないとわかってホッとした部分もありました。ですが、依存を完全に克服することはできなかったんです。そうした状況を変えられたきっかけは23歳の夏、母親が連れてきた依存症回復支援施設の人と話して、施設でプログラムを受けようと決断したことです。