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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 埼玉県鶴ヶ島市出身。昔ながらの風景が地元から失われていくのを目の当たりにする中で建築士を志し、大学の建築学科に進む。早期の開業を見越し、卒業後は埼玉県のアトリエ事務所に勤務。さらに都内事務所に移って多数の案件を経験し、2002年、満を持して地元に池野健建築設計室を開業した。構造や設備設計専門の他社とも協力しあい、住む人のためになる家づくりを続けている。【ホームページ
 
 
 
埼玉県鶴ヶ島市の池野健建築設計室。代表の池野健氏は埼玉、東京の設計事務所で修業を積み、こよなく愛する地元で独立した建築士だ。殺風景な建売住宅ばかりになった日本の町並みに彩りを与えたいと、斬新なアイディアを盛り込んだ住宅をデザインする池野氏。その仕事は徹底した顧客目線と、いい家のためにあらゆる人の意見を取り入れる柔軟さに支えられている。10年先、20年先を見据えた池野氏ならではの家づくりの秘密とは――。
 
 
 

地元の風景を大切にしたいと鶴ヶ島で起業

 
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インタビュアー 三浦淳寛(サッカー元日本代表)
三浦 池野代表は、地元の埼玉県鶴ヶ島地区で開業されているんですね。
 
池野 はい、実家が代々農家なんですよ。父は職人気質で手先が器用、私が子供の頃はおもちゃや竹馬など、いろいろな遊び道具を手づくりしてくれました。それを一緒につくって楽しんでいたのが、私のものづくりの原点ですね。
 
三浦 ものづくりの始まりが少年時代のおもちゃづくりというのは、いいですね! そこから建築の道に進んだきっかけを教えていただけますか。
 
池野 鶴ヶ島はもともと昔ながらの注文住宅の家が多い地区でしたが、区画整理が進んで、ハウスメーカーの画一的な住宅が並ぶようになってしまいました。高校生や大学生の頃、そんな風景を見ながら「ちょっと違うんじゃないか」と思っていたんです。それで自分が建築士になって街並みを取り戻そうと思い、東洋大学の建築学科に進んだんですよ。
 
三浦 今はどこに行っても、同じような建売住宅ばかり並んでるからなあ。じゃあ、大学ではみっちり建築の勉強をされたでしょうね。
 
池野 勉強したのもですし、学科の仲間と一緒に京都や鎌倉を旅行したのも、いい経験になりましたね。京都も鎌倉も、程度の差はあっても、古い町並みが次々と消えていたのは同じなんですよね。それを見て「日本の原風景を大事にしたい」という思いがいっそう強くなりました。