プロフィール 鹿児島県奄美大島出身。芝浦工業大学大学院工学研究科建設工学修士課程修了。一級建築士。1991年に山下海建築研究所を設立し、1995年、(株)アトリエ・天工人に改組。建築家の登竜門として世界的に有名な 「ar+d 賞」 で日本人として初のグランプリに輝くなど多数の受賞歴を誇る他、東京大学大学院や東京理科大学の非常勤講師を歴任。独立以来18年間で160件以上の作品を生み出しており、国内外の大プロジェクトも多数手がけている。
一般に、建築家という職業には一匹狼というイメージがつきまとう。しかし、株式会社アトリエ・天工人の代表取締役を務める山下保博氏は、他業種のエキスパートを巻き込むプロジェクトを積極的にプロデュースしてきた。近年は企業や大学、行政、そして海外国家とのコラボレートも実現させるなど、活躍の場はますます広がるばかりである。それを可能にしたのはいったい何なのか。従来の建築家のイメージを覆す、山下氏の実像に迫った。
恩師との出会いが
建築家を目指したきっかけ
秋川 山下社長は、どのようなきっかけで建築を志したのですか?
山下 建築家になりたいと思ったのは人より遅い方かもしれません。というのは、私は奄美大島の出身なのですが、周囲に建築家という存在がいませんでしたので、まったくイメージできなかったんです。高校一年生のときに初めてテレビで民放が見られるようになった場所なので、情報量が極端に少なかったこともありますが(笑)。
秋川 意外ですね。では、最初は何を目指していたのでしょう。
山下 もともとは絵を描くことが好きで、自分ではそれなりに上手だと思っていたので、それを職業にしたいと考えていました。しかし、高校時代に隣の席だった同級生の絵が驚くほど上手だったんです。それまで僕は写実的な絵が良い絵だと思い込んでいたけど、彼は抽象画を描いていて、見た瞬間にその凄さがわかってしまった。これこそがアートだと直感したんです。結局、彼はその後芸大に進みましたね。
秋川 素晴らしさを直観できるのも才能の内という気がしますが・・・。それで、絵はきっぱりと諦められて?
山下 ええ。それでいろいろ考えまして、絵が好きで手作業が好きで、モノづくりにも興味がありましたので、設計の仕事に携わろうと思ったんです。そこで東京に出て大学の建築学科に入学したのですが、最初は勉強せずにアルバイトばかりしていました(笑)。でも、大学3年生のときに出会った先生が素晴らしい方で、そこで初めて、建築家というものになりたいと心底思ったんです。
秋川 人生の転機ですね。いい出会いに恵まれましたね。
山下 非常に恵まれていたと思います。先生とは今でも親しくお付き合いをさせていただいていて、いろいろなプロジェクトでご一緒することも多いですよ。