こんにちは、テキサス・レンジャーズの建山義紀です。
レンジャーズ、地区優勝までもう一歩やったんやけどな。地区シリーズ進出をかけたボルチモア・オリオールズとの5日の最終戦、ぼくもいつでも投げられるようにブルペンで待機してたけど・・・めっちゃ悔しいわ。
とにかく、今年も終わったわけやから、ここまでのシーズンを振り返ってみましょう。
長い1年を乗り切るために
アメリカの野球生活は1年が非常に長い。いや、短いと言えば短いし、長いと言えば長いし・・・どっちやねん! たとえばシーズン中に大きな連戦などがあると、とても長く感じるんですが、一日一日を全力疾走している状態だから、気が付けば日々が過ぎ去っている。
今年はもう、これを着ることもないなあ・・・
さらに言えば、当然ですけど、一日の中の瞬間も気を抜けない。シーズン中は、ナイターの日はだいたい10時頃に起床して、11時か12時くらいから自宅でマッサージを受けてました。「そんなん球場でやったらええやん」と言われるかもしれませんが、トレーナーが球場内に入れないから、自宅でやってもらうしかないんですよ。
その後、14時頃に球場入りして、15時半から投手陣全体のウォーミングアップが始まるまでに自分のトレーニングを済ませて、準備万端、ナイトゲームに臨むと。ちなみに自分のトレーニングでは、その時々にケアすべきところを重点的にやるようにしています。昨シーズンは肩の調子が悪かったので肩を中心に。今シーズンは腰でした。やっぱり年齢を重ねると、そういう自分の体への配慮が大切なんですよ。
選手を高く売るために
アメリカでは、野球選手はいち商品みたいなものです。生身の商品。所属しているチームが次にどれだけその選手を高く売ることができるか、特にシーズン後半戦からはFAの選手などに対するフロントの興味関心はそこに向かっていきます。
基本的にアメリカはFA権を取るまでの期間が6年です。保有権を満たすまではそのチームでやるしかないですが、そこは移籍天国アメリカ。選手の売買も地獄の沙汰もお金次第・・・というと大げさかもしれませんが、実際にそう。しかも、商品価値を決定づけるのはやっぱりシーズン後半です。4~6月の調子がいくらよくても、7~9月の調子が悪ければ、選手の価値は上がっていかない。逆に、序盤に本調子でなく、夏場にグイグイと調子を上げてきたピッチャーは 「いいピッチャーだな」 と見られて、株価急上昇というわけ。
白球ではなく履歴書を投げる?
地区優勝争いもしていたわけですし、終盤はもう、フロントも監督・コーチ陣も選手も、ピリピリですよ。与えられる場面はほぼ決まってくるし、投手は特に、使われる試合も数的に限られてくる宿命ですから、ひとつひとつの登板で自分のピッチングをアピールするしかない。だから現場でやっているぼくたちは、「力になって、チームを優勝させてやるぞ!」 という気持ちと、「変に迷惑かけてしまったらあかんよなあ」 という気持ちとがないまぜになっているのも事実なんです。
特にマイナーからメジャーに上がった選手というのは、なかなか出番が来なかったジレンマも持っていますから、マウンドに上がったら、一球一球が採用面接みたいなものです。白い球を投げているんじゃなくて、履歴書を丸めて投げているんじゃないかと思うくらい(笑)。 まあ、それは半分冗談ですけど、「明日クビになってもおかしくない」 という世界ですから、そういう独特の緊張感は常にありますよね。
アメリカで直面した最大の敵
緊張感のある毎日ですから、とにかく精神的にも肉体的にも疲れます(笑)。日本のプロ野球も試合数は多いので、持久力勝負のようなところはありますけど、アメリカの場合は特にその色が強い。何せ29連戦なんて、とてつもない連戦がありますからね。
余談ですが、アメリカには 「予備日」 というものがないんです。何が何でもシーズン中に試合を終わらせようとする。極端な話、選手がその場にいて、体を動かすことができる状態ならば 「試合をやってしまおう」 と強引に進めてしまうんです。
そんな状態ですから、シーズン後半になってくると目下最大の敵は 「疲れ」 と言って言い過ぎじゃありません。移動だけでも、日本と比較にならないくらい長距離なので疲労がたまりますし、試合を終えたら当然しっかり休養しないといけない。でも、連戦ともなると、ゆっくり休んでいるような時間はなくなってしまう。そう、つまりアメリカで野球を続けるためには、いかに休養にあてる時間を “ひねり出す” かが大事になってくるんです。
先入観を壊していく
でも、その不安感につぶされてしまうかというと、そうでもないですね。確かに最初、シーズンに臨む前には、「本当に大丈夫か?」 と思ってましたが、やってみればできるものです。マイナーなんて待遇が本当に厳しかったけど、結局やってみると乗り越えられた。自分の中で 「きつい」 とか 「無理だ」 という先入観を壊すことができたのは新鮮な体験でした。
自分の限界を自分で決めてしまっている人って、意外に少なくないじゃないですか? でもその限界に素直に従っていたら、ぼくたちなんてアッという間に引退に追い込まれてしまいます。そこは自分で突っ張っていかないとね(笑)。
だって、成績が残せなくなったら、どこの球団も拾ってなんてくれないですから。特に2年目の今シーズンはぼくの投球も相手に研究されてしまってましたから。自分が相手のことを知るかわりに、その代償も払ってしまっている。ぼくだけじゃなく、2年目以上の周囲の選手たちはみんなそう。ただ、アメリカは根本的にそんなプレッシャーや重圧、危機的状況でも、野球を楽しむことがベストであるという気持ちを、常に忘れていないんですよ。真剣さの中でも遊び心を忘れない。だからこそ、壁を乗り越えていこうというモチベーションが湧きあがりやすいんですよね。
いずれにしても、オフの間にしっかり体を作って、準備しておこうと思います。
ではまた次回!
執筆者プロフィール
建山義紀 Yoshinori Tateyama
テキサス・レンジャーズ投手
経 歴
1975年、大阪府出身。中学時代からボーイズリーグにて野球を始め、現在のピッチングを支えるサイドスローを確立。東海大仰星高校ではエースとして君臨。1998年にドラフト2位で北海道日本ハムファイターズに入団すると、ルーキーイヤーの1999年にいきなり先発ローテーションへ定着。2002年から2004年にかけてセットアッパーとしての才覚を表すと、リーグ最多の13ホールドを記録し、最優秀中継ぎ投手を獲得。その後、先発・リリーフともに計算できる投手としてチームに貢献した。2010年に海外FA権を行使してのメジャー挑戦を表明、テキサス・レンジャーズとの契約を勝ち取った。サイドスローから繰り出す角度のある速球と、ダルビッシュ有選手をして 「球界最上」 と言わしめたスライダーが武器。
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