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安土桃山時代の高度経済成長と簿記技術発展との関係

 
 
 

1、はじめに


先日、行きつけの沖縄料理店の常連で上場会社の社長でもある方と飲みながら議論していたら、後日、面白い資料をわざわざ送っていただきました。
 それは堺屋太一氏の『歴史からの発想 ― 停滞と拘束からいかに脱するか』(日経ビジネス文庫) という書籍の抜き書(P58-P63) でした。もともと会社経営者ですから、会計にも造詣深く、公認会計士監査も受けており、会計の重要性やら、複式簿記の原点等々にも話は膨らんでいったのです。彼は秀吉の太閤検地の話やら小田原攻めにおける在庫の概念、近江商人が経理技術の進歩に果たした役割等を熱く語ってくれました。そこで早速ネットで同書を購入し一気に読了。
 会計の重要性やら、複式簿記の素晴らしさ等々については、本稿2010年6月号(天下りを嫌った兼好法師-平安時代のリテラシーと現在のリテラシーの違い) や2010年10~11月号(俺の借金全部でなんぼや?-複式簿記って素晴らしい-)で語らせていただきました。そこで今回は、「日本の高度経済成長の原点は16世紀前半の豊臣秀吉の時代の経理技術の偉大な進歩にあったのだ!」 という話をしてみたいと思います。
 
 

2、安土桃山時代は長期高度成長時代


  堺屋太一氏の 『歴史からの発想』 によると、日本において長期にわたった高度経済成長の時代は3つあったそうです。最近では太平洋戦争以後、その前は、大正・昭和初期の重工業勃興期、そして16世紀前半です。この時代の各産業(陶磁器、繊維、薬品、醸造、木工等)の発展は目覚しかったそうで、特に著しいのは鉄砲生産等の金属工業だったそうです。16世紀初頭から太閤検地の行われた16世紀末までに日本の農業生産力は2~2.5倍にも増加したそうで、産業革命以前において農業生産がこんなに伸びた例は世界でも珍しいとのこと。関ヶ原の合戦で東西合わせて5万挺の鉄砲が一戦場に集結したという事実は、ナポレオン戦争以前の世界では例がないことで、16世紀末の日本は極めて高い工業技術をもった先進工業国だったようです。そういえば2年前に社員旅行で行った石見銀山も、1584年(天正12年) に毛利氏から豊臣秀吉の管理下に置かれましたが、当時の世界の銀の3割を産出していたといいますから、凄いことです。
 
 

3、高度経済成長を支えた経理技術の偉大な進歩


  それでは、この長期経済成長を支えた要因は何だったんでしょうか? 織田信長の時代に兵農分離がなされ、主計将校団の組織が芽生え、豊臣秀吉の時代に常任の輜重隊(しちょうたい。「荷駄者」とも) と主計将校団が組織化。1590年の小田原攻めで豊臣方の兵糧が尽きなかったのは独立の主計将校に指揮された輜重隊から続々と補給を受けていたからだとされています。
 そして日本最初の主計出身の将軍たる増田長盛、長束正家らがそれら補給の任にあたったということで、前線に出ることの少なかった彼らをもって家中最高の地位に就けた秀吉が如何に輜重と主計を重視したのかが 分かります。
 長束正家は高い計算能力を買われて財政を一手に担い、豊臣家の蔵入地の管理と太閤検地を実施。増田長盛とともに近江国の出身ということですから、その財政術は近江商人のそれだったとも言えるでしょう。この主計将校団の組織の独立は簿記経理術の飛躍的な進歩が基盤となっているとのことです。
 
 
 

複式簿記,渡辺俊之,渡辺公認会計士事務所,軒昂奉仕,職業会計人

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