月刊ブックレビュー　vol.2　病気にならない常識 | 仕事を楽しむためのWebマガジン、B-plus（ビープラス）

ちょうどこの本を書き終えたとき、日本人間ドック学会が、いままでの血圧やコレステロールの上限値は、科学的根拠がなく下げ過ぎていることを認め、新しい上限値を出しました。血圧130を147mmHg、総コレステロール199を280mg／dl、LDL119を190mg／dlです。これで、薬を飲んで病気になる人も減るでしょう。

――「終わりに」より抜粋

　日本で「免疫」が一般の読書子の興味をひくテーマに定着したのは、今は亡き免疫学者・多田富雄氏の『免疫の意味論』（青土社）が出た1992年が境だったと思う。その前の80年代に「ニューアカ」ブームが起き、一般にも構造主義的・ポスト構造主義的な考え方が知られるようになっていた。「人間存在は単体で捉えるべきでなく、外界との相関やその様式、さらにそれらを自己がどう取り込むかによって捉えるべきものである」とするその考え方が「アイデンティティ（自己同一性）」なるものの意味を変えつつあったところに、多田氏の『意味論』は、「〈自己〉とは私たちが思うよりもっと不確かで相対的で、都度変化・生成を遂げているものである」という考え方を鮮やかに提示した。以降、私たちの考える〈自己像〉は多かれ少なかれ、相対性、可変性、操作性の洗礼を受けている。

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　本書の著者の安保徹氏は1947年、青森県東津軽郡生まれ。多田氏より一世代若い、現在の免疫学の分野における世界的権威の一人である。白血球の自律神経支配メカニズム（1996年）や、マラリア感染防御が胸腺外分化T細胞によって行われること（2000年）といった重要な発見を実績に持ち、一緒に出演したテレビ番組で本邦アンチエイジング界のカリスマ・南雲吉則医師が恐縮しておとなしくしていたというわかりやすいエピソードもある。本書はその安保氏が、編集者いわく、“本音で”書きおろした著書である。

　章立ては「病気にならない～／生命体の～／がんにならない～／心疾患、脳血管疾患にならない～／糖尿病にならない～／自己免疫疾患にならない～／アレルギーにならない～／痛み、対応の～／ストレスの～／病院、医者の～」の全10章。それぞれの「～」に「常識」が入る。

　現代日本人の三大死因であるがん・心疾患・脳血管疾患にならないための常識が紹介されるのはテッパンとして、本書が意義深いのは、糖尿病、リウマチやバセドウ病などの免疫疾患、アトピーや喘息などのアレルギー疾患といった、難治性とされ苦しむ患者が多い病気の治療に、自身の研究から新しい（かもしれない）知見を啓く点が一つ。

　そしてもう一つ。それらの病気の「常識」に懸念を示す形で、現代日本が抱える医療の問題点を、医療者の側から指摘する点である。いわく、人口減の社会で医療が産業として存続するために様々な基準が決められ、あるいは医師の自己防衛のために医療が標準化（ガイドライン化）され、それらが病気を再生産しているのではないかと。以下、再編・抄出して例をあげる。

　▼昔は脳血管疾患といえば過酷な労働による脳血管出血（→血腫と諸症状）だった。現在はそのような労働で起こる脳卒中や脳梗塞は全体の2～3割で、残り7割は血圧降下剤による血流障害が原因。高齢者の脳梗塞も血圧の下げすぎが原因。

　▼高血糖になると医師は膵臓にインシュリンをつくらせる経口薬を処方する。1～3ヶ月は薬が効いて血糖値が下がるが、インシュリン分泌が常に刺激される異常事態に膵臓が音を上げて効かなくなる。そこで食事療法や運動療法を併用しつつ薬も飲み続け、50～60代になる頃には膵臓が疲弊しきってしまい、インシュリン注射を受けるようになる。医師が病因に向き合わないせいで患者が再生産されている。

　▼たとえばアトピー性皮膚炎にステロイドを処方すると、ミトコンドリアのエネルギー生成を止める形で炎症を抑える薬なのでだんだん体が冷え、生命が途切れる。皮膚科学会のアトピー性皮膚炎に対する診療ガイドラインは第一選択にステロイド軟膏を挙げており、医師はその通りやっていればよいようなものだが、本来なら、甘い物を控えて体を鍛えることで生物進化的に新しい免疫系であるリンパ球を減らさせるのが、アレルギー疾患への正しいアプローチ。

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　〈自己〉が相対的で被操作的なものであるなら、社会のいろいろな常識（自己が常識と認めるもの）はなおさらそうに違いない。「病気」とは？　それに「なる／ならない」とは？　　医療を受けるとはどういうことか――？　これらの問い直しから、医師は患者の、患者は自分の、心身に責任を持って向き合うようになること。それこそ本書が突き詰めて言いたい「ならない常識」のようだ。