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とにかくわかりやすい本。スラスラ読めます。どこにも難しい箇所はありません。書いてあるそのままに読んでいけば、現在企業に勤めて働く人たちのメンタルヘルスの問題とそれへの対策を理解できます。そう思いながら終盤まで来たとき、「おっ、おっ、おっ!」と立て続けにエッジの効いた箇所に出くわしました。以下引用。
 
「要するに、少子高齢化で年金資源が乏しくなっているなか、年金受給開始年齢を70歳や75歳に引き上げ、それまではできるだけ多くの人に働いてもらおう、という方向にすでに舵が切られているわけです。」(第7章 これからの時代に生き残るのは「社員の心を守れる」会社 p211)
 
「実は、大企業がこれだけ健康経営に力を入れるのは投資家対策でもあるといいます。/最近は、投資家がより若い世代に世代交代をしていて、‥略‥長時間労働、ハラスメント、メンタルヘルスといったことに対策をし、計画的・継続的に取り組んでいなければ、投資家が離れてしまう時代になっているのです。」(同 p215)
 
「「業務が多忙で手が回らない」「コストが不安」と思わずに、まず先に「メンタルヘルスケアのしくみを作る」と決めてしまうのです。‥略‥組織としてしくみを作ってしまえば、あとは管理職や人事労務担当者、産業医、社員がそれぞれの立場で‥略‥「大切な社員のために、メンタルヘルスケアを進める組織を作る」と決心できるかどうか。そこに企業の未来がかかっているのです。」(同 p223)
 
年金受給開始年齢についての言及は「言っちゃったよ~」と感じるくだりです。投資家が世代交代しているから云々のくだりは「結局企業はそれがからんで初めて取り組みを変えるんだよなぁ」と思う箇所。そして3つめは、企業のメンタルヘルスケア対策で必ず問題になる「鶏が先か卵が先か」問題について、要は「んなこと言ってるあいだに対策を始めた企業から先にどんどん未来を(=シェアを、求職者の人気を、投資家の評価をetc…)つかんじゃいまっせ」と言っています。
 
メンタルヘルスケア対策もタダではできません。費用をまかなうだけの利益と、利益の原資となる従業員の福利厚生と。どちらが卵でどちらが鶏かはさておき、優先順位をどうつけるかは企業経営にとってジレンマのはずです。本書はそのジレンマを、投資家の傾向も援用しつつ「そんなものは認めない」と言っているわけです。
 
また、事実もその通りなのでしょう。ついてこられない企業はアナリストで小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏が言う「日本は中小企業が多すぎ」問題の文脈で淘汰されていくだけで。そしてそのほうが労働者全体の福利厚生に良く作用するのであれば、止める理由はありません。
 
そしてもう一つ、評者が最近の知見にも照らして「これを言い切ったのは良かった」と感じたのは、第2章69ページと第7章219ページ。最終的には経営者の姿勢が一番重要としつつ「今の時代は何もしなければ、社員の心身の健康は年々失われていく」と指摘した箇所でした。
 
これについては「労働強度」が最初のキーワードです。第2章で具体的に述べられる通り、現代の労働環境は昔と違います。56ページには著者が外資系投資銀行でインターンをしていた当時のこととして、1年分の有価証券報告書を取り寄せるのに国会図書館に行って1時間かけて作業していたことが書かれていますが、「ネットで情報が取れるようになった今は、5年間分でもほとんど瞬時に」入手できるそうです。国会図書館まで行く「移動」という単純作業で脳がどれだけリフレッシュしていたか、窓口で閲覧申込をして呼び出されるまでのあいだにどれだけプチ瞑想ができていたか。それを思うと、知識労働にも牧歌の時代があったんだなぁと感慨深くなります。
 
そして次のキーワードは、引用の2つめにある「健康経営」です。これについては評者から本書に補足しましょう。
 
本書は健康経営について、「社員の心身のケアをして人に“投資”することが、組織の活性化や生産性の向上、優秀な人材の獲得などにつながり、結果的に業績や企業価値を向上させるという考え方」と紹介します。これをもっと詳しく、人事労務管理の概念である「プレゼンティーイズム」に照らして見ると、企業が従業員にかける「健康関連総コスト」の実に77.9%が、このプレゼンティーイズムすなわち「出勤してはいるものの体調不良やメンタルの不調などが原因で従業員のパフォーマンスが落ちている状態」によってもたらされています(参照:平成29年厚生労働省保険局「データヘルス・健康経営を推進するためのコラボヘルスガイドライン」p35)。これを解消することは投資家の評価を待つまでもなく企業収益を改善するはず。従業員のメンタルヘルスケアはその第一歩です。
 
「ちょっと話がキレイすぎないか?」と感じる経営者の読者にはややシビアに、第6章のメンタルヘルスケア導入企業の例から費用対効果を読み解いてみます。事例①は2008年設立、従業員数32名のベンチャー企業。2018年8月から嘱託産業医と契約し、従業員のメンタルヘルスケアに取り組んでいます。産業医は3ヶ月に1回、社員との個別面談や定期健診指導を行います。面談は一人30分程度です。
 
この企業の経営者のコメントに「産業医の契約に月5万円かけても云々」とありますから月5万円で契約していると推測して、30分×32名で960分、÷60で16時間。3ヶ月毎だから5×3の15万円を16で割って時給9375円。労災以外の社会保険料がかかってくる労働時間量ではないからこれが賞味の人件費だとして、面談の報告書を書く時間と面談間のアイドリングタイムも加味すれば実質労働時間がもう少し長くなって、時給は8000円ぐらいに――稼働月しか契約金が発生しないならもっと――薄まるでしょうか。
 
時給8000円で「社員の心の健康リスクを事前に把握でき」、「従業員本人がすべきことはアドバイス」しておいてもらえ、「会社として対処すべきことをフィードバック」してもらえ、入社1年半で人事経験がなかった人事・労務担当者が具体的アドバイスをもらえて気持ちがラクになるのであれば、それで離職が防げるのなら(いずれも192~194ページより)、安いものではないでしょうか。
 
もちろん、月5万円で産業医を一人雇えば社員のメンタルヘルスケアを丸投げできますよ、という意味ではありません。それぐらいの投資でも社内は変わりますよ、という意味です。両者の違いを確認しつつ読み進めたい一冊でした。
 
(ライター 筒井秀礼)
『部下の心が折れる前に読む本 「社員がやめない会社」をつくる5つのステップ』
著者 刀禰真之介
幻冬舎メディアコンサルティング
2019/9/2 第1刷発行
ISBN 9784344924857
価格 本体1400円
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(2020.1.15)
 
 
 

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