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まずは前回vol.64で引用したテキストの再引用から始めさせてください。本書第1章「“お金の流れ”を正しく理解する「会計アタマ」のつくり方」の内容が、まさに対応しているからです。
 
「ところが今はさあ、国家でさえ、なんか予算の問題とかあんなのがほとんどでしょう。あれを見てると、家族の家計のやりくりとものすごく似てるよね。国家的な規模でやりくりをやるわけですよ。国家の関心がほとんど家計の問題になっちゃって、それ以外のことはあまりやっていないね。戦前の国家だったら、そんなことが国家の第一目標じゃあなかったよ。ところが今は、衆議院なんかを見ててもね、もう結局ハウスキーピングとあんまり違わない感じがするけどね。」(思潮社刊『思想と幻想』p94)
 
詩人であり評論家でもあった鮎川信夫の1975年の言葉です。これに対し本書第1章の内容は、会計の基礎知識とツール――複式簿記、貸借対照表(BS)、損益計算書(PL)――を一通り解説した後は、国の財政の、つまりまさに「国家的な規模のやりくり」の話に終始します。45ページには平成29年度の日本政府のBSが見開き片面を使って掲載されています。49ページには日銀のBSも載っています。
 
これらを総合して、とはつまり国際標準である統合BSで見直して、「国の借金1000兆円!」と財政悪化をあおる人たちを一蹴する論調は、インターネットチャンネル「文化人放送局」や「林原チャンネル」などで普段から著者の言説に触れている読者には馴染みだと思います。なるほど「会計アタマ」を身につけ、かつBSにまで当たれば、往年の知識人が辟易した国家のハウスキーピングも興味深く見ることができます。
 
次いで第2章「経済アタマ」、第3章「統計アタマ」、第4章「確率アタマ」、最終第5章「予測アタマ」と続きます。いずれも「つくり方」つまり身につけ方が、実例をまじえつつ解説されていておもしろい。また実用的でもあります。例えば下記引用など、飲食店に限らず、広くビジネスのヒントになるのではないでしょうか。
 
「価格弾力性が高い」とは牛丼チェーンのようなことを言う。嗜好品・贅沢品と似た需要曲線を描く。「価格弾力性が低い」とは人気のラーメン店のようなことだ。生活必需品と似た需要曲線を描く。」(第2章“需要”と“供給”を正しく語る「経済アタマ」のつくり方 p 83)
 
牛丼が嗜好品・贅沢品と似ているという、文系アタマが一見奇異に思う指摘がなぜまさしくそうなのかは、本文を読んでのお楽しみ。「なるほどそう考えるのかぁ~」と、そうなるプロセスを追う楽しさを味わいながら学べます。それも著者自ら「私は数学の専門家だが、2次方程式の解の公式すら覚えているかどうかあやしい」と述べる通り、数式ではなく論の展開で導いてくれるので、きちんと読めばちゃんとついていけます。つまり本書は――文系人間がやかましく言う(自省)――読書の醍醐味がある本です。
 
著者の髙橋洋一氏は元大蔵省(現財務省)官僚で、小泉および第一次安倍内閣では数量政策学の見地からブレーンを務めた人物。統計・確率の専門家であるだけに、本書も第3、4章は圧巻で、「統計すげぇ!」とか「めくるめく確率論の世界!」とか、勝手にコピーまでつけて感動しながら読み進めました(ただし圧巻に感じるのは評者の限界値が低いからで、著者的には基礎の基礎の基礎レベルだそうですが)。
 
そのうえで、文系アタマからの逆襲を試みてみたいと思います(笑)。
 
第4章「安全保障を冷静に正しく考える「確率アタマ」のつくり方」の第7節「確率は「情報」によって変化していくもの」の、ベイズ統計を説明するときは必ず紹介されるという「モンティ・ホール問題」について。選択肢A、B、Cのうち回答者がAを選んだ後に当たりを知っている司会者がハズレのいっぽう(例えばC)を除外して、再度回答者に選ばせる際に、回答者はAのまま行くよりBに乗り換えたほうが当たる確率が倍になるという話。160~163ページの丁寧な説明を読んでも、評者はどうしても納得できませんでした。説明は理解できます。なぜそうなるかの確率論的記述にも飛躍を感じる箇所はありません。でも、得心がいかない。それで自分なりに得た理由が以下。
 
「しかし現実は、「最初の選択時にはなかった選択肢D(可能性D)が、Cがハズレだと判明する頃には生成しているかもしれない、あるいは、誰も知らなかっただけで選択肢Dは最初の選択時から伏在していたかもしれない、そしてそれらのことに、再選択を迫られている今もまだ気付いていないかもしれない」というふうに現象するのが常ではないか。その場合、選択は当たりハズレの問題ではなく、回答者が悔いを残すか残さないかの実存的命題に変わる。主観的覚悟性の問題になる。」
 
誰も気付かなかったというのは司会者も気付かなかったという意味です。そしてこのいかにも文系らしい「哲学アタマ」からの逆襲は、確率論的世界観の原理的な弱点を突いていると思います。それは評者なりに表現すれば「確率論は“事後”にもたらされる」というものです。
 
ただしこれは、確率が事後だという意味ではありません。むしろ確率を考えることは常に“事前”です。「何パーセントの確率でこれが起こる」と事前に予測できる点に確率論的思考の神髄があるからです。168ページ以降で紹介される、3つの資料――1816年からの世界の戦争データがわかる「The Correlates of War Project」、各国の民主度実態を示す「Polity IV Project」、アメリカの国際政治学者が膨大な戦争データを用いて行った実証分析研究「Triangulating Peace:Democracy,Interdependence,and International Organizations」――をもとにした「安全保障論は確率論」という考え方も、そしてそこからの「平和の5要件」も、完璧な説得力をもって“事前”に――つまりどの国ともまだ武力戦争状態にない2019年11月現在の日本に――響きます。
 
しかしこれとて、1816年以降のデータが膨大に蓄積され振り返れるようになってはじめて成立する趣旨なわけです。その意味で「確率論的世界観は“事後”にもたらされる(=“事後”にしかもたらされない)」と言っているのです。
 
思えばピケティが著書『21世紀の資本』で、「資本の収益率は労働の収益率の現れである経済成長率を常に上回る(=投資による収益は労働生産による収益より常に割がいい)」という、今や西側諸国の常識になった資本主義の宿命を明らかにしたのも、1700年以降の世界の統計データが出そろった2013年のことでした。
 
確率論的世界観と実存論的世界観。どちらが正しいという話ではありません。4章で著者が求めるのも「安全保障は確率で考えよ」ということではなく、「確率論も踏まえてフェアな議論をしよう」です。最後は安全保障までカバーする骨太の一冊。かなりお勧めですよ。
 
(ライター 筒井秀礼)
『正しい「未来予測」のための武器になる数学アタマのつくり方』
著者 髙橋洋一
株式会社マガジンハウス
2019/5/30 第1刷発行
ISBN 9784838730490
価格 本体1300円
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(2019.11.13)
 
 
 

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