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◆鉄道網を象徴する特別な駅

 
 「日本で一番高いところにあるのは何駅?」――子供の頃、こんななぞなぞを楽しんだことはないだろうか? 答えは東京駅である。ここを目指す電車はすべて 「上り」 となり、ここから遠ざかるものは 「下り」 となるためだ。
 日本の鉄道特有といえるこの 「上り・下り」 の概念はもともと天皇陛下を基準とするものだった。鉄道網において基準点たる地位を継承した東京駅は、日本の交通インフラを象徴する特別な存在、といえよう。
 首都圏の駅で比較すると、乗降客数では、新宿、池袋、渋谷、横浜に次ぐ第5位にすぎないが、ほぼすべての新幹線が乗り入れる東京駅は、地方と東京をつなぐ「ハブ」として他の駅には替えがたい意味を持つ。
 近く竣工から100周年を迎えるにあたり、現在、リニューアルプロジェクトが進められている。10月1日には丸の内駅舎の復元工事が完成し、全面開業した。このタイミングで、象徴のリニューアルが導く国家経済の大計を考えてみたい。
 
 

◆二度の国難を乗り越えて

 
 東京駅は第一次大戦が勃発した1914年、新橋と上野を結ぶ高架線を設けた際に造られた。それまで東京の玄関口としての役割は、東海道線で結ばれた西日本に対しては新橋、日本鉄道(私鉄)で結ばれた北日本に対しては上野が担ってきた。両線をつなぐことで、間にできた東京駅がその役割を統合し、引き継いだのである。もともと丸の内界隈は大名屋敷が多かったことから、当初は地域の景観とマッチする桃山風デザインのプランが有力だったが、明治天皇の希望でルネサンス式デザインが採用された、という経緯をひもとくと、欧米列強に追いつくべく懸命だった時代の空気が理解しやすいかもしれない。
 以来100年、東京駅は日本の歴史とともにあった。堅牢な設計ゆえ関東大震災には耐えたが、太平洋戦争では空襲により焼失。復興の礎として2年後には丸の内口駅舎が再建された。高度成長期には、上野駅とともに、「金の卵」 と呼ばれる若年層の労働力を首都圏に迎え入れる流入口として機能。日本の経済成長を支えた。
 
 

◆「上り」重視がもたらした繁栄と停滞

 
 その後の半世紀、東京駅についてはこの 「上り」 の受け皿としての機能が重視されてきた。首都圏という一点にインフラ整備を集中し、地方から一方的に人材を集めることで集約的な経済発展を狙う国策において、地方からの路線が集まる東京駅の役割は大きなものだった。
 首都圏を主人公とする視点から見ると、地方との関係は 「1対多」 であるが、地方に視点を置き換えると、その関係は 「大阪対東京」 「福岡対東京」 「仙台対東京」 などのように、常に 「1対1」 である。東京駅への 「上り」 をひたすらに重視してきた国策は、いわば確信犯的に「1対多」の視点から日本経済を見つめ続けるものであった。
 その結果、日本経済は戦後の焼け野原から奇跡とも賞賛されるペースで復興し、世界有数の経済大国にまで成長を遂げた。取り残された地方には、首都圏の 「稼ぎ」 から 「お下がり」 的に一定の富が分配されることで、とにもかくにも日本中が経済成長の恩恵を受けてきた。
 その成長モデルに近年、翳りが見え始めている。
 理由は多々あろうが、大きな要因として考えられるのが、首都圏の飽和と地方の疲弊である。2012年の統計で、東京-横浜の首都圏の人口は3713万人となっている。都市的地域の人口では世界最多である。2位のジャカルタが約2606万人、ニューヨークでも約2046万人にとどまるのを見ると、飽和状態であることは一目瞭然だ。
 いっぽう、人材が流出し続け、インフラ整備も思うに任せない地方では、独自の経済発展が難しい。首都圏にかつての勢いがない中、地方の没落をカバーする力は失われつつある。
 
 

◆国家・企業戦略に転換を迫った東日本大震災

 
 そんな閉塞状態に陥りつつある我が国を震撼させたのが、2011年に発生した東日本大震災だ。東北地方に比べれば限定的ではあったが、首都圏もダメージを受け、停電や鉄道網の休止などにより、経済活動にも支障を生じた。その後、東京大学や京都大学などが首都圏でM7級の直下型地震が発生する確率について 「4年以内は50%以下」 「今後5年以内に28%」 などとする衝撃的な予測を発表。企業も自治体も、これまで迫真性にとぼしかった災害の恐怖を実際に体感し、安全保障を「我がこと」とする考えが急速に一般化した。
 企業の例では、流通大手のイオングループが災害時の本社機能を愛知県小牧市に移転することを7月に発表。また同じく7月、京都府の山田啓二知事は首都圏直下型地震に対する備えとして、一部皇族の京都への移住を藤村官房長官に進言している。地方への機能と人材の分散は、もはや単なる 「検討課題」 ではなく、安全保障上とらねばならない対策と認識されているのだ。
 ただ、企業や公官庁が地方に機能を分散する際、東京からそっくり引っ越す例は少ない。効率と安全保障のバランスをとる観点から、拠点となるポイントを残しながら、地方に機能を振り分ける 「2局化」 が今後の主流となるだろう。
 
 

◆次の100年は「下り」重視の時代に

 
 偶然の産物だろうが、東京駅のリニューアルはこういった時代の希求にかなうプロジェクトなのである。リニューアルにあたっては、建設当時のスタイルが踏襲され、戦後角屋根になっていた南北ドームも丸屋根に戻された。高さは創建当時と同じ3階建てのまま。高層化してオフィスビルにすれば大きな収入が見込めるにもかかわらず、である。余った容積率は三菱地所の丸ビルや東京ビルなどに販売され、八重洲口に建設された超高層ビル、グラントウキョウノースタワー・サウスタワーにも転用された。この他にも、機を合わせるように東京中央郵便局がJPタワーを建設。東京駅近辺のビジネス環境は相次ぐビッグプロジェクトで急速に充実することとなった。
 地方から最もアクセスしやすい東京駅近辺のインフラが充実すれば、地方と首都圏の交流はいっそうスムーズになる。たとえば新大阪駅-東京駅の所要時間はのぞみなら2時間半程度だ。関西のオフィスから東京に顔を出す際、東京駅前にオフィスがあれば、少し遅い時間からでも気軽に日帰りできる。再開発が進む東京駅近辺に 「拠点」 を置き、好アクセスを確保することで、地方への機能分散はより容易になる。
 東京駅のリニューアルはまさに、「下り」 を重視せざるを得ない次の100年を導くプロジェクトといえるかもしれない。
 
 

◆象徴のリニューアルが暗示する転換点

 
 ネット環境の普及で、かつてはビジネス効率化の鍵であった地理的な集約は、もはや絶対条件ではなくなった。飽和した首都圏とは異なり、地方にはまだまだ未開拓の需要が眠っている。「災い転じて福となす」 ではないが、東日本大震災は涸れ井戸となりつつある首都圏から離れられないでいた企業や公官庁を引きはがす契機となるだろう。
 不安を直視した国家的、経済的ポートフォリオとしての首都圏機能・本社機能の移転は必須の対策であり、その実現は経済の新たな可能性を拓く鍵となる。日本経済における人材流通の要として機能してきた東京駅のリニューアルは、奇しくもそんな時代の節目を暗示している。
 
 
 
 

 執筆者プロフィール  

谷垣吉彦 (Yoshihiko Tanigaki)

 経 歴  

ライター・販促ディレクター。全国紙、不動産大手、医療関係など多彩な分野の販促ディレクションにかかわる。ライティング分野は多岐にわたり、2001年には大阪ミレニアムミステリー大賞を受賞。

 
 
 
 

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