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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
持ち前の好奇心でさまざまな経験をしてきた奥田さん。しかし、その経験を芝居に駆使できるようになるには時間がかかったという。
 
 

失敗を恐れないこと

 
経験は、頭の中の引き出しに蓄積されていきます。その引き出しを好きなときに開いて、演技の中で経験を活かせるようになったのは、ここ10年ほどでしょうか。経験を活かすには、技術が必要になるんですよ。その技術を得るのに、僕の場合は何十年もかかりました。
 
時間をかけてでも技術を得られたのは、失敗を恐れなかったから。道草を無駄だと切り捨てなかったからだと思います。ほかの人から見れば、目指すべきものがあるのに寄り道をしているのは滑稽にうつるかもしれません。でも、俳優にとっては大切なこと。道を逸れた結果、どこに辿り着くかもわからないこともあります。それを恐れず寄り道することが大切ですね。寄り道した先で得る経験には、際限がありませんから。
 
僕の場合は、これまでにいろんな道草をしてきたとともに、周囲の環境が良かったから俳優の道を進んで来られたのだと思っています。高校生の頃に俳優になりたいと家族に打ち明けたとき、父には反対されてしまいました。しかし、背中を押してくれる母がいて、結果的に父もこの道を突き進ませてくれましたしね。僕もその経験から、自分の子どもたちには、好きなことに打ち込める環境を整えてきたつもりです。
 
 
奥田さんは小学生の頃に観た映画に衝撃を受け、映画俳優の道を志したという。そのために、当時立てた“計画”についても語っていただいた。
 
 

俳優への道のり

 
僕が俳優を目指し始めたのは小学5年生のときです。その夢は家族にも言わず、一人で温めていました。どうすれば映画俳優になれるか考え、体を鍛えるために野球やラグビーに取り組んだんです。そのおかげか、親族の中でも頭一つ抜けるほど身長が伸びましたね。父には「お前は橋の下で拾った子だから一人だけ背が高いんだ」と冗談を言われたこともありますよ(笑)。
 
高校3年生になって、家族に俳優になるために東京の大学に行きたいと相談したときは、父に一蹴されてしまいました。だから、大学卒業後に地元で市議会議員になるために、東京に政治の勉強をしに行くと嘘をついて上京を許してもらったんです(笑)。実際に衆議院議員の先生のもとで書生をさせていただきましたしね。政治の世界もとても魅力的だったものの、僕の志しは俳優の道。結局、先生のもとを飛び出してバイトに勤しみながら俳優を目指しました。
 
でも、どうすれば俳優になれるのかまったくわからなくて。そこで思い出したのが、俳優の天知茂さんが、同じ高校のOBだということ。たまたまご自宅を知ることができたので、毎日お願いに上がりました。もちろん門前払いだったのですが、雨の日も来る僕を見かねた奥様が、天知さんの事務所を教えてくれたんです。そうして、付き人になる許しを得ました。これが僕の、芸能界への出発地点です。
 
天知さんのもとでは、本当に多くを学ばせてもらいました。でも、「ここで学べることは全部学んだな」と思ったときに、夜逃げ同然で飛び出してしまって。その後は、またバイト三昧の日々。バイト先に来ていたお客さんがたまたまモデル事務所を紹介してくれたので、再び芸能界に戻れたんです。
 
モデル事務所では最初のうちはまったく仕事がなかったものの、ある百貨店のポスターに起用されたのをきっかけに、立て続けに21本ものCMに出演しました。「この勢いを借りて俳優の道に戻ろう!」と社長に直談判し、事務所を辞めることに。政治の世界を飛び出したときや、天知さんのもとから夜逃げしたときも同じで、僕は何か一つのことに打ち込む性格なんです。ほかのことをしながら俳優を目指すというのは、どうしてもできなかったのだと思います。