B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 
キーマンとの出会いでダンスの道を進んだパパイヤ鈴木さん。振付師としての活動をするにあたっても、同様の出会いがあったのだと語ってくれた。
 
 

越えられない壁は現れない

 
20歳のときに、CBSソニー、現ソニーミュージックエンタテインメントに入社したんです。配属されたのは、ソニーミュージックのオーディションを管理している部署。そこでは、オーディションを受ける子たちの育成も行うんですよ。あるとき上司に「振り付けをやってみないか」と言われまして。つまり、ダンスのインストラクターを務めてほしいということですね。
 
僕としては、裏方に回るよりも自分自身がプレイヤーでありたかった。でも、上司の「人の背中を押すというのは、充実感があるものだよ」という言葉に騙されまして(笑)。実際に挑戦してみると、本当に充実感があるんですよ。自分の教えた子が、新しいことができるようになったり、テレビに出演したりすると嬉しくて。「ああ、このことか」と実感しましたね。僕が振付師の仕事に携わるようになったのにも、キーマンがいたわけです。
 
それからは姉と2人で会社を立ち上げて、さまざまなイベントに関わりました。イベントの企画を立てて、ダンサーを集めて、音楽もつくる。まったくノウハウを持っていない世界に飛び込んで、毎日が“産みの苦しみ”でしたね。パソコンを触ったことがなかったくせに、コンピューターミュージックにも挑戦しました。今では大好きなジャンルの一つになっていますよ。
 
20~28歳までは、とにかくがむしゃらに働いていました。僕は、「越えられない壁は現れない」と考えています。壁は、越えられる人のところにしか現れないんですよ。だから、先のことをあれこれ考えるのではなく、目の前の課題に取り組む。ひたすらそれを続けた8年間でしたね。この8年がなければ、今の僕はいなかったと思います。
 
 
自身のことを「流されるタイプ」と語るパパイヤ鈴木さん。「この道を極めるんだ」と頑固にならなかったからこそ、良い道に導いてもらえたという。
 
 

大切なときにキーマンが必ず現れてくれた

 
松任谷由実さんのコンサートで、ダンサーのマネージメントに携わったことがあります。4年間担当させてもらい、大きな学びがありました。その中で、忘れもしないのが、1995年に行われたコンサートツアー「THE DANCING SUN」です。松任谷さんが、ステージの真ん中から、競り上がる台に乗って登場するんですよ。それを見たときに、思わず涙が出てきてしまって。
 
「俺、あそこにいたかったんじゃないの?」って気付いたんですよね。裏方としての充実感はもちろんありましたが、それと同時に、松任谷さんが立っている場所にもいたかったのだと思い出したんです。それから、何かおもしろいことができないかと考えるようになりました。そうして思いついたのが、「パパイヤ鈴木とおやじダンサーズ」です。
 
禿げていたり、太っていたり、ダンスをしそうにないダンス集団っておもしろいんじゃないかな? と思ったのが始まりです。当時は僕も体重が100kgほどありましたから。そうして20人くらいメンバーが集まったので、ミュージックビデオを撮ろうとなったんです。ただ、撮影費はまったくありませんでした。すると、おもしろそうだから手を貸すよと言って、タダでスタジオを貸してくれたり、撮影してくれたりする方々に恵まれて・・・。お金をかけずにプロモーションビデオを完成させてしまいました。
 
そうして出来上がったのは、親父がマムシドリンクを飲んで踊りだす、うさんくさいミュージックビデオ(笑)。それを、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが見てくれまして。サザンオールスターズ20周年記念アルバムである『海のYeah!!』のCMに使ってくださったんですよ。そういうキーマンが、人生の岐路に必ず現れてくれるんですよね。たくさんの方に導いてもらって、今の僕がいるのだと感謝しています。