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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

 

どれだけきつくつらい練習の苦労も
本番では一切見せず華やかに

 
2008年、23歳という若さでシンクロナイズドスイミングの競技生活から引退した青木愛さん。現在はさまざまなメディア活動を通じ、シンクロに限らず多くのスポーツの魅力を伝えている。スイミングスクールのシンクロコースに通い始めた頃から“選手”としての意識を持ち、オリンピックでメダルを取ることを目標に泳ぎ続けていたと語ってくれた。「23歳まではシンクロをやっていなければ“青木愛”じゃなかった」と話す青木さんに、現役時代の苦労や現在の活動についてうかがった。
 
 

練習のつらさを一切見せない競技

 
現役時代は、とにかく練習が大変でしたね。私は練習を楽しいと思ったことは一度もないんですよ。でもずっとシンクロを続けたのは、オリンピックに出てメダルを取りたいという夢があったから。その夢を叶えるためには、練習をしなくちゃいけませんよね。夢を叶えるための手段なら、嫌なことでもやらなきゃと思って取り組んでいました。
 
練習内容はもちろんハードですし、時間も長かった。大体、朝の8時頃から泳ぎ始めて、最低でも、1日10時間は水の中にいましたから。陸の上でもウェイトトレーニングなどがあるので、練習が終わるのが23時頃。それが毎日だったんです。
 
トレーニングは、他のスポーツのそれと大きく異なるかもしれません。シンクロは足を魅せる競技なので、きれいな足、魅せられる足にすることも常に意識してトレーニングに取り組んでいました。例えば、私たちの時代にランニングなどはしなかったんです。立ち泳ぎをするので足の力は必要ではあるものの、きれいな足を維持するために、筋肉のつけかたには注意していました。筋肉をつけていいのなら、気にせずガツガツトレーニングしたんですけどね(笑)。
 
オフの日も、競技の感覚を忘れないために必ず水の中に入りました。1日水に入らないだけで、感覚を取り戻すのに時間が必要になります。毎日積み重ねていたことが崩れてしまわないように、自主的に練習を行い復習していました。シンクロをしていたとき、よく皆さんに「華やかだ」と言ってもらえたんですよ。それは、練習の大変さや、つらさを競技中に一切見せないように泳いでいたからだと思います。そういった美しさを追求しているところが、シンクロの魅力かもしれませんね。
 
 
 
 
 

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