サッカーで東北を牽引する
有言実行の改革者
まずはクラブが目指す目標を明確に。そして、そこに向かって覚悟を持って全力で取り組む。手倉森氏は監督就任以降、理想とするチームづくりに邁進する中で、自分の考えを理解して体現してくれる選手を増やすことで、勝者のメンタリティーが薄いクラブの体質そのものを変えようと努めた。
フォアザチームで動ける選手をチームの軸に
私は常々、チームが一体になるよう努力をしてくれる選手、チームのために自己犠牲の精神を持てる選手と仕事がしたいと思っています。組織に身を置いて仕事をするんだから、独りよがりや自分勝手は許されない。どんなに能力があっても、それを鼻にかけているような傲慢な選手でいてはダメです。自分の力をチームのためにどう生かすかを考えて動けるのが、真に能力がある選手。クラブに所属する以上、試合に出られないとしても、全ての試合に選手は必ず何らかの形で絡んでいる。だから当然、日常のトレーニングも仕事の一部であり、チームに対して責任ある行動ができる選手でいてほしい。お互いが同じクラブ内で仕事をしているんだから、試合中だけがフォアザチームじゃないんです。このクラブで一緒にいる全ての時間にその気持ちが必要なんですよ。
そういう思いを理解してくれる選手らと共に、少しずつベガルタ仙台というクラブのメンタリティーを現場から変革してきました。すると、就任2年目で優勝してJ1に昇格した時に、「積極的に補強をしてもいい」 とクラブから許可が出たんですよ。ですが私は、共にJ2を戦い抜いて昇格を勝ち取ってくれた選手らをチームの軸に据えたまま、J1に上がる決断をしました。私が彼らの伸びしろを信じることで、彼らにはチームの核である自覚を持ってほしかった。そんな決断があったからこそ、相互に信頼関係が生まれ、彼らはJ1でも自分たちの力が通用することを証明し、期待以上の成長をしてくれた。それが昨シーズンの準優勝であり、ACL出場権の獲得につながったんです。
私は 「日ごろの積み重ねが結果を生む」 と選手に言っています。だから、重要な試合の前のロッカールームでは、まずは選手たちを褒める。その舞台に辿りつけたのは、誰が欠けることもなく全員が全力で取り組んできた結果だからです。それは彼らの力なんだから、自信を持たせてあげないと。せっかく努力して積み重ねてきた力でも、本番で発揮できなければ意味がないですからね。
選手も監督も一体感を持って成長をしてきた2008年以降のベガルタ仙台を語るうえで、避けては通れない出来事の一つに、東日本大震災がある。当時、クラブを襲った衝撃は並大抵のものではなかった。しかし、その逆境が彼らをまた大きく成長させる要因になったことも、紛れもない事実なのだ。
地域の助けによってサッカー選手でいられる
あの震災によって、多くの方々が犠牲になり、今も苦しんでいる方々がたくさんいます。我々自身も被災者として震災に直面しました。住む場所をなくし、大事な人を亡くし、打ちひしがれている人がたくさんいる中で、我々はあることに気付けたんです。それは、サッカーの技術が優れているというだけでプロでいられるのではないということ。そうではなく、自分たちがプレーできるクラブを、いろいろな面で支えてくれる地域の皆さんがいるから、プロでいられるのだと。
だから、サッカーができる環境を提供してくれているこの地域のために、プロ選手としてできることに全力を尽くす。選手らがきちんとそれを自覚し、理解したからこそ、被災地でのボランティア活動に何の抵抗も感じることなく、率先して動いてくれています。
発言にも変化が出てきました。あるメディアの方に指摘されたのですが、選手たちの発言は、私が彼らに言い続けた言葉が多く引用されているんだそうです。「監督の考えがチームにきちんと浸透しているのは、チームが組織として一枚岩になれている証拠だ」 と言われました。それを聞いた時は、私も嬉しかったですね。
そんな感じですから、私にとっての監督の仕事は時に、生活指導の先生みたいに思われることがあります。彼らはプロの選手だから社会人ですけど、特に若い選手はサッカーしか知らない人がほとんど。だから、社会人としてふさわしい心構えは、年上の人間が教えてあげないと。たとえば、一人前の男が人生で気を付けなければいけないのは、「酒と女と金だ」 とかね(笑)。プロ選手だからチヤホヤされることもありますけど、驕ることなく謙虚に、そして真面目であれと伝えています。その辺は、きちんと自分をコントロールできるようにしてあげたいですよね。
もちろん震災そのものは、感謝していい出来事などではないし、まだ何も終わってはいないんです。それでも、あの日を境にチームがさらに強くなれたのは確かだし、だからこそ、ベガルタ仙台は復興のシンボルとして活躍していきたいと思っています。