かつてのエースが辿りついた
変化しつつ輝きつづける秘訣
城氏は国内での移籍を含め、プロとなってから4度の移籍を経験した。特に世界最高峰のリーグ、スペインの 「リーガ・エスパニョーラ」 へと活躍の舞台を移した際はセンセーショナルな話題として報じられもした。今でこそ海外移籍は活発に行われているが、当時はまだごく一部の選手しか挑戦が許されていなかった。その貴重なチャンスを得た城氏は、現地で何を見て、何を感じたのか。
スペイン挑戦で得た人生への向きあい方
スペインで強く感じたのは、海外選手の人生に対する意欲の高さです。彼らはとかく夢が大きい。世界で一番のビッグクラブで活躍するとか、大金を稼げるスタープレイヤーになるとか。でも、それ以上に、人生におけるリスクヘッジをしっかりしている印象がありました。仮に選手として致命的な怪我をしてしまえば、明日から仕事ができなくなる。またどのクラブも欲しがってくれなくなれば、当然ですが職場がなくなる。それがいつ来るか、もしくは来ないのか、誰にもわからないし保証もされないわけです。
ですので、彼らは 「サッカー選手としてのキャリアが終わったらこういう仕事をしよう」 と、具体的なプランをいくつも持っているんです。選手時代の人脈を使ってレストランを開業したり、就職したり。みんな、目の前にあるサッカーだけを追ってはいないんですね。しかも、そのプランを実に楽しそうに話すんですよ。
人生を楽しんで生きていくプランにサッカーがあり、プレイヤーとしてのハングリーさの裏に、きちんとした人生設計がある。それを見て思いました。「もしサッカー一本だけしか考えていなかったら、土壇場でサッカーがだめだったら死ぬしかないじゃないか」 と。背水の陣としてのものすごいエネルギーは出せるでしょう。でも、それは危機的状況から脱しようとしているだけで、人生への積極的な向き合い方ではないなと感じたんですね。
スペインでの活躍を期待されつつも、古傷の影響で期待された結果が残せなかった城氏は、不振のスパイラルに落ち込んでいく。マリノス復帰後もケガに苦しみ、気が付けばJ2の、しかも降格争いをしている下位チームに身を置いていた。明らかに劣る環境でプレーを続けながら、しかし城氏は、その時代がなかったら大事なことに気付けなかったと語る。
どん底から昇格へ、勝利の秘策
当時の横浜FCはJ2で本当に苦しい戦いを強いられていました。ビッグクラブとは違ってお金もない。そこで、自分が今までいかに恵まれた環境でプレーできていたのか痛感しました。まず、雨が降るとグラウンドが使えない。大きなクラブだと、グラウンドキーパーがいて、練習前にはきちんと芝や土の状態を整備していてくれる。しかし財政難に苦しむJ2のクラブの多くは、それは無理なんですね。それでも私たちはプロですから、結果がすべて。環境が悪いとか、これがないあれがないなどと言い訳はできないわけです。
そんなときチームから、ベテランと若手を束ねてリーダー的役割を担っていくことを求められるようになりました。とはいえ、私はどんな環境でも自分を「出す」ことは知っていましたが、自分を抑えて周囲の方向性をすり合わせる経験は初めてです。それでも、年齢的にも経験的にも自分が適任者で、自分しかいないのであれば、やるしかないんです。自分の 「夢」 「目標」 「欲」 のためにも。
最も注意したのは、一方通行のコミュニケーションをしないようにということでした。特に上位下達のやり方をしないように、と。若手とベテランは、とかく距離が離れがちです。世代的な違和感もあるし、直接ベテランが若手に意見を言うと、彼らが恐縮してしまう。特に横浜FCは、カズさんや山口素弘さんといった、日本サッカー界を牽引してきたレジェンドが在籍していましたから、若手は意見をなかなか言えなかった。コミュニケーションがうまくとれないと、やがてはその人の人間性まで否定したり嫌いになったりしてしまう。それはよくない。だからコミュニケーションは大事にしましたね。
私が引退した年、チームは念願のJ1昇格を果たせました。そのときはチームメイト皆が自分の意見を出し、強いコミュニケーションで結ばれていた。J1で通用するにはそれ以上のエッセンスが必要ですが、下位低迷から昇格できた事実を考えれば、自分のやり方は間違ってなかったと思います。
実に基本的なことですが、自分が何に気付けるかで、会社でも、転職でも、良い変化というものは起こせると思うんです。私も数々の挫折を繰り返して現役を過ごしてくる中で、一つひとつ気付いてきました。今は、変わっていく環境の中でそういった気付きを大事にすることが、よい仕事をするための秘訣だと、自然に思えますね。私も、デビュー当時からすべての歯車がうまくかみ合ったまま進んでいたら、きっとどのチームでも煙たがられてしまい、裸の王様ならぬ、裸のエースで終わってしまっていたでしょうから。
(インタビュー・文 新田哲嗣 / 写真 Nori)