角界に旋風を巻き起こした男の
逆境に負けない修羅場の美学
舞の海氏いわく、小柄な力士は性格が図太い必要があるという。どんな相手でも、ひるんでしまうと、そこで精神的に不利になってしまうからだ。もちろん相手を甘く見るという意味ではない。「相手をのんでかかるくらいの気持ちでいることを常に心がけていた」 と氏は語る。
心理戦・駆け引きの毎日
精神的にひるんでしまうと、動きも鈍るし、力も出し切れないんですよ。でも、ひるまなければ体もキレますから、相手が嫌がる動きをしっかりとすることができる。小兵の戦い方というのははっきりしていて、とにかく相手よりも低く構えることなんです。低く構え、素早く動く。これは相撲だけでなく、他の格闘技やスポーツでも、戦術的には似ているかもしれませんね。
実際に作戦を考える際は、「自分よりも小柄な力士がどう攻めてきたら自分はやりにくいか」 ということに集中して考えていました。よくありがちなのが、自分の中のイメージや想像だけでまとめてしまうこと。「こうやると相手としてはなんとなくやりにくいのではないか?」 という自分目線ではなく、「自分が相手だったらどう攻められるのが嫌か?」 「どこが弱点で、それをどう突いてこられたらやりにくいか?」 ということを、必ず自分に置き換えて考える癖をつけていたんです。
それが最もうまくいったのは、曙さんと初めて戦ったときでしたね。大人と子供みたいな体格差がありますから、正攻法でぶつかっていっても勝ち目を見出しにくい。そこで考えました。まずまともに当たっていくフリをしてフェイントをかけ、しゃがみこんで相手の懐に入る。左手で廻しを掴み、右手で足を取り、自身の左足は内掛けで攻める。「三所攻め」 です。
こうした作戦上の駆け引きは、土俵の上だけでなく普段から行われているんですよ。先の曙さんの例でいえば、曙さんの前では絶対に手の内を見せないし、作戦の練習をしないようにしていました。他の力士に対しても同様で、地方巡業の稽古などは心理的な駆け引きだらけです。相手が自分に対して攻めてきた方法、他の力士に見せている攻め方などを観察し、癖を研究したり、どんな狙いを隠しているかを読みあったり。姑息かもしれませんが、私もその駆け引きは大いに利用していました。
たとえば、わざと 「ここを攻められると弱い」 というような弱点を露見させる演技を入れる。すると、相手はそこを突いてくる可能性が高まりますから、次の自分の攻め手をシミュレーションすることだってできるわけです。間違っても、自分の部屋以外の出稽古のときに技なんてかけません。きれいに決まってしまうと、相手はそれに対処しようとしてきますからね。
使えるものは何でも使う。自分ならではの作戦を立て、勝利からの逆算を日頃から続けておく。そのことによって、あらゆる状況に対するイメージができあがり、常に冷静さを保つこともできる。常に結果を見据えたうえの、用意周到な準備、そして状況変化への対応が、舞の海氏の強さを際立たせていった。
勝利をつかむ3つの条件
取り組みで勝つために大事なことは3つあります。1つ目は引き出しをたくさん用意すること。2つ目は、冷静沈着でいること。3つ目は相手をのむことです。
土俵の上ではいろんな状況に追い込まれますから、どれだけ引き出しを用意するかは特に重要でした。私の場合、当たり勝つことは少ないので、相手に押し込まれてきたらどうかわしていくか? 土俵際で追い込まれたら、体を反転させてかわすべきかどうか? その反転も相手の首に腕を巻きつけるように反転すべきか、すり抜けるように反転すべきか? 足をとるときはどの位置がベストか? など、どのような攻め方をされても対応できるように、とにかくイメージパターンを多く持つようにしていました。
もちろん取組の最中に細かいことなんて考えていられませんが、そうしたイメージがあるのとないのとでは、瞬間的な判断が大きく変わってきます。それに加えて、いざ決断をしたら、躊躇なく動くこと。中途半端な動きをせず、思い切って動くようにしていましたね。躊躇していたら、必ず隙が生まれますから。
次に冷静さを保つことについて。土俵の上では何が起こるかわかりませんから、成功と失敗は紙一重です。でも、ひとつだけ言えるのは、「過程を省略してはダメ」 ということ。勝ちたい気持ちが先走っちゃうと、相手を倒すまでの手順を怠ってショートカットして、たとえば自分の得意な体勢を作らないまま強引に投げようとしてしまう。すると、反対にひっくり返されてしまうんです。そうならずに勝てるよう過程を踏むためには、冷静でいることが大事ですよね。相手から見ても冷静に取り組まれると厄介ですから。
最後に相手をのむということについてですが、相撲だって、人と人との対戦なわけですから、やはりここでも心理戦になるわけです。土俵上で対峙する前からきりっとしていて、冷静沈着に見えると、「あいつ、動じていないぞ」 と思われるはず。反対に、塩をまいているときなどに目が泳いでいたりすると、「こいつ、びびってやがるな」 と思われてしまう。逆に変に睨みつけたりするのも逆効果。気が弱いのだと思われますからね。だから、涼しい顔をしているのが一番の威嚇になるんです。
映画などでも、狂気丸出しで追いかけてくる殺人者より、無表情で忍び寄ってくるサイコな殺人者のほうが、観ていて恐ろしさを感じませんか? 人間心理はそういうふうにできている。角界でいえば、武蔵丸さんの飄々としたたたずまいなどは、対戦相手としてはかなりの威嚇に見えていたのではないでしょうか。