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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

ぶどうづくりを突き詰め 米・野菜も栽培法に工夫
小幸農園株式会社 代表取締役 竹本昌利

 
プロフィール 岡山県出身。祖父の代から続くぶどう農家の家に生まれ、学生時代は理系学部にて学んだ。会社勤めを経て、2016年から家業を継ぎ、2021年に現在の小幸農園(株)に名称変更し3代目代表に就任。有機無農薬栽培にてぶどう、米を栽培しており、新しく枝豆や落花生などの野菜栽培にも取り組んでいる。“小幸”の由来は、「笑顔と小さな幸せを」のモットーから。【ホームページ
 
 
 
岡山市東区の山間でぶどうや米を栽培している小幸農園株式会社は、自らを理系人間と評する3代目の竹本昌利代表取締役が、ロジカルに向上させた栽培方法により高品質の作物を産出し、消費者にファンを増やしている。40代から取り組んだ農業で周囲をうならす急成長ぶりの秘密はどこにあるのか。自慢の作物で食べる幸せを感じてほしいと話す竹本社長に、これまでの歩み、仕事の喜びとモチベーションの源についてうかがった。
 
 
 

長い会社勤めを経て40代で農家に

 
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インタビュアー 亀山つとむ(野球解説者)
亀山 小さな幸せと書いて“こゆき”とは素敵な名前ですね。竹本社長は小幸農園さんの3代目だとうかがっています。
 
竹本 そうなんです。農園のすぐ隣に実家があります。祖父が農業をしていた頃は、山の上でぶどうをつくっており、このあたりのハウスは全部田んぼでした。ですが、山の上での作業はとても大変なうえに水もないので、父親の代で平地のハウスにぶどう畑を移して今に至ります。
 
亀山 ぶどう栽培の巨大なハウスが並んでいて、広いですよねぇ。この農園を見て育った竹本社長は、やはり、いずれは自分が継ぐものだと思っていたのでしょうか?
 
竹本 いえ、その気はありませんでした。当時、農業はすでに斜陽産業とされていましたし、親にも継がなくていいと言われていましたからね。ただ、会社勤めをしていた30代前半の頃、父が農園のハウスを造設したタイミングで「ちょっとやってみないか」と声をかけてきたことがありました。その時は断ってしまったものの、さらに10年近くたち、当時の職場でけがをした事情などもあって、家業に入る決断をしたわけです。2016年頃のことですね。
 
亀山 家業で馴染みがあるとはいえ、40代から新しい仕事をスタートすることに、抵抗はなかったですか?
 
竹本 はい。農業自体は嫌いではなかったですし、何事も自分で決めてやっていけるのはおもしろそうだと思いましたね。