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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 埼玉県出身。同志社大学を卒業後、協和埼玉銀行(現:りそな銀行)に入社。埼玉や大阪、東京などの支店を回り、金融や不動産に関する業務はもちろん、人事にも携わる。後に副支店長にまで昇格するも、突如として芽生えた将来への不安を抑えきれずに退職。在職時代の経験を活かして不動産会社へ転職し、ノウハウを培った後、(株)A&Fアセット・マネジメントを興した。
 
 
 
家賃収入を得るビルオーナーには様々な “儲け話” がある。しかし 「初期投資さえすれば後は建物が稼いでくれる」 というのは言い過ぎで、実際は修繕費や管理費、固定資産税など出費も多い。空室率も考慮すると、よほど利回りの良い物件でなければ収益は出ないのが実状だ。いっぽう、A&Fアセット・マネジメントでは、銀行出身の小暮隆代表取締役社長が過去の経験やノウハウを基に、確実な収益が望める物件を探し出して販売している。
 
 
 

銀行員から一転、企業家の道へ

 
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インタビュアー 矢部美穂(タレント)
矢部 小暮社長は、現在の不動産事業を興す前は銀行にお勤めだったそうですね。
 
小暮 はい。大学卒業後より協和埼玉銀行、現在のりそな銀行に就職し、39歳まで勤めていました。
 
矢部 銀行員という安定した立場から一転、企業家の道を歩まれたのはどういった理由からでしょう。
 
小暮 大きな理由としては3つあります。1つには、よくある話しですが、「もしかして経営方針が自分に合わないのではないか」 と、違和感を抱いたこと。勤続年数が長くなり、役職が上がるほどその思いが強くなり、「自分が思う道を進んでみたい」 と考えるようになったんです。
 
矢部 仕事ができる人ほど、そういう悩みが募るといいますよね。2つめは?
 
小暮 漠然とした将来への不安です。仕事そのものはとても楽しく、だからこそ、それなりの実績を残すことができましたし、副支店長に昇格することもできました。しかしながら、将来の自分を明確にイメージできなくなってしまったんですね。当時の私は39歳。そのまま勤続すれば、それなりに出世をしていたかもしれません。でも、「それは私が本当に望む人生なのか」 という迷いが消せなくなってしまったんですよ。しばらく休職して頭を冷やしましたが、思いは一層強くなるばかりでした。