B+ 仕事を楽しむためのWebマガジン

スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW


 
プロフィール 1982年生まれ。栃木県宇都宮市出身。父親の影響で幼少からサッカーを始め、中学生までは男子サッカー部にも所属してプレーした。16歳で日本代表に初召集されて以降は、スピードを活かしたプレーで代表チームの常連選手となる。2002年、筑波大学女子サッカー部を退部してL・リーグ (現なでしこリーグ) のさいたまレイナスFCに入団。2006年に浦和レッドダイヤモンズレディースでプロ契約を果たし、得点王、ベストイレブン、MVPなど数多くの個人タイトルを獲得した。2011年、なでしこジャパンでドイツW杯優勝、2012年にはロンドン五輪準優勝を経験。同年に自身のトレーニング法やメンタルケアの仕方を紹介した 『世界でたたかうためのKOZUEメソッド』 (講談社) を出版した。現在はドイツ女子ブンデスリーガ1部の1.FFCフランクフルトに所属。FWやMFの攻撃的ポジションを得意としている。
 
 
 
なでしこリーグを経て、2010年にドイツ女子ブンデスリーガ1部のFCRデュイスブルグに移籍した安藤梢選手。現在は同じドイツの1.FFCフランクフルトに所属し、自身の成長のため、日本女子サッカーのために異国での戦いを続けている。W杯ドイツ大会優勝、ロンドン五輪準優勝と、近年の日本女子サッカーは目覚しい躍進を遂げているが、安藤選手が歩んできた道は、日本の女子サッカーが世界で勝ち抜くための苦闘を続けてきた歴史と重なる。目標を定め、その壁を乗り越えるとまた新たな目標が生まれる――。絶えざる成長を続ける安藤選手の言葉から、目標を達成し続けるためのヒントを得たい。
 
 

16歳で世界のレベルに衝撃を受ける

 
20130801sp_50ex01.jpg
 私が初めて海外で試合をしたのは1999年のことでした。当時最年少の16歳で日本代表に召集されて、W杯アメリカ大会に出場したんです。予選リーグで対戦したロシアやノルウェーの強さは衝撃的でしたね。自陣での守備に追われて攻めることすらできませんでしたから。私はノルウェー戦に数分間出場しただけでしたけど、それでもレベルの差を思い知らされました。もう一つ印象的だったのは、開催国のアメリカの試合は観客でスタンドが埋め尽くされていて、活躍する選手がスター扱いされていたことですね。当時、日本の女子サッカーは今ほどの認知度がなかったですから、その光景を目の当たりにした時に、「私もいつかはこんな舞台で活躍したいな」 って思ったのを覚えています。
 高校卒業後はいろいろと考えた結果、筑波大学に進学しました。筑波大学にはOBの井原正巳さんや中山雅史さんが日本代表でプレーした時のデータなどが残っていて、それを基にしたフィジカルのトレーニング方法の研究などが行われていたんです。そんな大学の施設や練習環境を見て、筑波大でサッカーをすることに決めました。技術や戦術、フィジカル、メンタルなど全ての面でレベルアップすることの重要性を感じていたからです。入学して以降はずっと、大学の研究者やスタッフの方々の助けを得て、効率的・効果的なトレーニングを継続しています。いまでもこの、「チーム梢」 にはお世話になっているんですよ。
 その後、大学の女子サッカー部を退部してL・リーグ (現なでしこリーグ) のさいたまレイナスFC (現浦和レッドダイヤモンズレディース) に入団、リーグ優勝やMVPを獲得することができました。その頃には、スピードでも球際の競り合いでも、国内では他の選手に負けることがほとんどなくなっていたんです。むしろ、自分から相手選手に身体を入れに行って、ボールを奪えるくらいの強さになっていたので、自信を持ってプレーできていましたね。もちろんこれは、科学的トレーニングを続けたことと、日々のチーム内での練習や、試合に出ることで培われて得られた成果です。でも、2010年にドイツに渡ってみると、その自信を吹き飛ばされることになるんですけどね(笑)。
 
 
 
 

スペシャルインタビュー ランキング