好奇心と天邪鬼が核にある
「一期は夢」というヒント
男性の対極にあり、男性のわからない感覚を生きているからこそ好奇心を刺激する存在――女性。その話が出たところで、鳥越氏は、世のすべての男にとって最初の異性である母親との思い出について語ってくれた。そこには、少年期のネガティブ・シンキングが現在のポジティブ・シンキングに大転換を遂げるまでの、遅ればせに来たドラマがあった。
遅く来た目覚め
ぼくは母から、「あんたは本当に “倦きやすの好きやす” ね」 とくりかえし言われて育ったんです。母は京都の人で、これはぼくの出身の九州にはない言葉なんだけど、「何でもすぐ好きになる/興味を持つ。でもすぐ飽きる」 ということを、京都では “倦きやすの好きやす” と言うんです。最初は意味わからんかったけど、母がこれを言うたびに、子供のぼくは胸にドシンドシンと烙印を押されてね・・・。だから、「たしかに俺はなにごとも続かん。すぐ倦いてしまう」 というネガティブな自己像が、ずーっと自分の中にありました。中学時代の日記に 「ぼくは一生、一人の女性を愛することはできない」 と大真面目に書いてるぐらい(笑)。
でも、そうやって否定的にとらえていた自分のイメージが、30代になってから変わってきたんですよ。ある日突然というのじゃなく、少しずつ溜っていたものが、ブワーッと形になってくる感じでね。そして思ったのが、「そうか!」 と。「おれは飽きっぽいんじゃない、人の何十倍も好奇心があるんだ! これを活かしていけばいいんだ」 と。それで気付いてみたら新聞記者になってたから、「よかったー」 と思った(笑)。 新聞記者になりたいなんて一度も思ったことはなくて、大学を卒業するときにそれしかないから記者になって、言われるとおり走り回ってただけだったのに、実は一番向いてる仕事だったんだから。吸い寄せられるようにというのか・・・ 定めだったんだろうね。
それを自覚してからです。本気で仕事がおもしろくなってきたのは。
何についても目覚めるのが遅い気がしていて、まわりと比べてひそかに劣等感に感じている人はいっぱいいると思うんです。特に経営者なんか、出したら負けてしまうからそれは出せんけれども、心の片隅に持ってる人が全体の半数はいると思う。そんな人に言いたいんです。「晩生は悪いことじゃない。ちゃんと自分の仕事を、自分なりに楽しんでやっていれば、必ずゴールデンエイジがやってくる」 これがぼくなりのメッセージです。
「全体を見る視点」 と 「今を見る視点」――鳥越氏は両方の視点を大事にする。先の著書の構成でいうなら、前者が縦軸 (時系列上の変化への視点)、後者が横軸 (その時々に感じたことや想起したことへの視点) だ。目の前のことに押しつぶされそうなときは全体の中でそれをとらえなおし、全体を俯瞰することができたときは、そこに今の状況をしっかりと位置づける。どんな出来事も丸ごと楽しむセンスと、インテリジェンスによって。これらがどう作用すれば、彼のように柔軟で強靭なスタンスを取れるようになるのだろう。
天邪鬼―あまのじゃく―という転換装置
それは、ぼくの中にある天邪鬼な精神のせいでしょう。「人と同じことはしたくない」 とか 「人と同じことは言いたくない」 とか、何か変化をつけたいという気持ちが、ぼくには常にあるんです。手術の全身麻酔から覚めるときに、覚醒の程度をみる質問で娘に名前を聞かれて、ちゃんと意識が戻らない状態のまま口をついて出た答えが、「あほ」 でした。日付を聞かれても普通に答えるんじゃなくて、「オクトーバー・シックス」 なんてわざわざ英語で答えたりしてね(笑)。 「おまえは誰だ」 と聞かれて 「あほです」 だよ。本当、あほだよ(笑)。
でも、これだって自然に出たんです。ぼくの場合、いつでも自分のことを、もしかしたら自分の人生そのものも、「あほだなあ。でも、おもしろいなあ」 と言える気持ちがどっかにある。バカとは区別してほしいけどね(笑)。 後でこのときのビデオを見たら、みんなビックリしてたよね。そういう、なんて言うのかなあ・・・ どこかで自分の存在そのものをおもしろがってるようなところが、ぼくにはあるんですよ。
だからぼくは、深刻になるということが、もうないんです。何があっても、何が起こっても、おもしろいほうに転換させられる装置が、もう自分の中にできてると思う。じゃあ、死の間際の瞬間までこのまま生ききれるかというのが、これからに向けたぼくのテーマです。「じゃあな、先に逝ってるぜ、グッバイ」 って言えるかどうか。ぼくは自分なりの考えを 『エンディング・ノート』 っていう本に書いたけど、世の中も、最後の始末の付け方についてもっと論じたほうがいいと思うな。「時間がないと思ったらこの音楽をかけてくれ」 とかね(笑)。 ぼく? ぼくは決めてる。ショパンですよ。
鳥越氏の核にあるという、最後の瞬間に向けてなお自分の存在そのものをおもしろがる、“天邪鬼” という転換装置。そのベースにある好奇心と、上質のユーモア。「一期は夢よ」 を狂いぬくための貴重なヒントを、教えられた気がする。
(インタビュー・文 筒井秀礼 / 写真 Nori)