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自由に活動をするため教職を退く
バックノー 私は西宮に生まれ育ち、県立西宮高等学校の音楽科を卒業しました。その後、広島大学の教育学部に進み、卒業後は25年にわたり兵庫県内の小・中・高等学校で音楽教師を続けてきたんです。経験を積んでいく中で、生徒の中にはコミュニケーションだったり、勉強が苦手だったりする発達障害のお子様や、診断基準を満たしていないけれど発達障害の傾向を持っているグレーゾーンのお子様が多いと気付きました。そういったお子様たちは、定型発達と自分を比べることで自信をなくしていき、不登校になってしまうケースもあったように感じます。その中で、何か私にできることはないかと当時から考えていました。
畑山 グループから外れてしまうお子さんたちを何とかしたいと思ったわけだ。
バックノー そんなとき、夫が公民館で英語を教えるようになったんです。次第に多くのお子様が集まるようになったため、私も自由に活動できる環境を求めて退職し、夫と共に英語教室を立ち上げました。
畑山 組織から離れて自分で道を切り開いていく選択をしたと。
バックノー ええ。教室ではネイティブな英語レッスンでお子様が楽しみながら学べる授業をしていました。でも、数年経った頃、お子様たちの伸びが頭打ちになったように感じたんです。原因を考えた結果、ネイティブの夫が話す英語を聞いて真似をするので発音は上手になるけれど、文法もしっかり教えないと、越えられない壁があるとわかってきました。