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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

おいしい野菜を能勢から 特製のピクルスも人気!
エントランスファーム 代表 志田一真

 
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インタビュアー 畑山隆則(元ボクシング世界王者)
畑山 大阪の能勢町にある農場で、米づくりや無化学肥料・無農薬での野菜栽培を行っているエントランスファームさん。開業なさったのは最近のことだそうですね?
 
志田 はい、2023年5月に開業して、今年2年目を迎えます。私は40代に入って農家になった新米で、実は、大学を卒業してから18年、小学校の教諭を務めていました。農業を目指したのは自分でも思いがけない成り行きでしたね(笑)。
 
畑山 ぜひ、農業を目指されたきっかけを詳しくお聞かせください。
 
志田 30代の頃、田舎の閉校間近の学校に2年ほどいたことがあり、少ない子どもたちと密に交流できて楽しかったものの、近くにたくさん広がる田んぼを見て、自分も漠然と自然に囲まれて仕事がしたいと思うようになったんです。その後、支援学校に移ってきたところ、子どもたちが懸命に生きる姿を目の当たりにし、もっと一日一日を大事にしよう、自分が一番やりたいことをしようと決めた時、頭に浮かんだのが農業でした。
 
畑山 元小学校の先生とは意外なご経歴ですね。見たところ、スポーツもかなりなさっているのでは?
 
開業から1年で作物も増え、特製ピクルスも販売中
開業から1年で作物も増え、特製ピクルスも販売中
志田 学生時代は野球やソフトボールの経験があり、社会に出てからはボクシングもしていました。実は現役当時の畑山さんを見てかっこいいなと思ったのがきっかけなんです。畑山さんの試合をビデオテープが擦り切れるほど見ていましたし、今日こうして話していても何だか夢を見ているみたいで信じられません。
 
畑山 それは光栄です。ボクシングは練習がハードですし、減量など体調管理が大変だったでしょう。お仕事の帰りにジムに通っていらしたんですか?
 
志田 そうです。毎日限られた時間でしか練習できませんでしたが、こつこつ続けた甲斐あって、30歳の時には実家のある三重県から目標だった国体に出ることができました。最後は記念にするつもりでプロにも挑戦し、2戦2勝で終えられたのが秘かな自慢です。