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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

左官工事の可能性を広げ
情熱を持って仕事に邁進

 

妻の一言で一念発起し、独立を決意

 
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宍戸 平川社長は、もともとこの業界でお仕事なさっていたのでしょうか。
 
平川 いえ、実は最初は和食の料理人でした。小さな頃から料理人になるのが夢で、16歳の時に和食料理店で修業していたんです。そして、20歳の時、東京都渋谷区の料理店に働き始める際に、先輩から左官業の仕事を紹介していただき、休日を利用してアルバイトとして始めてみたんです。すると、とても楽しくなりまして(笑)。
 
宍戸 それでのめり込んでいったわけですか!
 
平川 はい。やってみると、料理に似ているところもあり、例えば、和食でよく扱う鮮魚などは“生もの”と呼ぶんです。左官業でも、土などを混ぜた素材は放置しているとすぐに固まってしまうため“生もの”と呼び、どちらも新鮮なうちに形にしなくてはいけません。ほかにも、包丁さばきとコテさばきも通じるものがありますし、用語や段取りなども似ていて入り込みやすく、楽しかったんですよ。そして、なによりも左官職人さんたちの温かさに触れて、憧れを持つようになり、思い切って転職したんです。
 
宍戸 なるほど。それにしても、料理とはまったく異なる業界に飛び込まれたとは驚きました。それだけ、左官業の職人さんたちをはじめ、良い出会いがあったんでしょうね。
 
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平川 そうですね。その後は20代半ばで結婚し、子どもも生まれ、守るべき家族ができたことで現在の生活を見直したり、将来のことを考えたりするようになったんです。それで、31歳の時に独立しようと思い立ちました。
 
宍戸 独立にあたって、奥様には相談なさったんですか?
 
平川 はい。実は、ゆくゆくは会社を設立したいという話はずっとしていたんです。自分自身、技術も身に付いて独立してもやっていける自信はありました。でも、なかなか踏み切れずにいたところ、妻に「まったくいつになるんだか」とぼやかれまして(笑)。それでようやく一念発起して独立し、弊社を設立したんです。
 
宍戸 奥様の言葉が背中を押したのですね。そうして設立された寿工業さんの中で、平川社長がどのような組織づくりをしているのか、俄然興味が湧いてきましたよ!