両親の背中を見て障がい者施設の運営に
山下 私には弟がいまして、生後2ヶ月で最重度の知的障がい児になりました。そして弟が15歳のとき、当時公務員だった父はある方の「この子たちは親が頑張らないと生きていけない」という言葉と出合い、母に相談し、支援施設の設立を決意したそうです。そこから、同じ境遇の保護者有志たちと共に設立に動き始めました。
川上 設立までは、スムーズに進んだのでしょうか。
山下 いいえ、苦難の連続です(笑)。当時は知的障がいを持つ子どものための学校も少なく、スタート時は資金も乏しく運営はままならず、1992年に父は公務員を辞めて奥多摩へ転居し再建に乗り出しました。経営の安定化が喫緊の課題で、誰かがやらなければならない切羽詰まった状況でしたね。
川上 30年前となると、今以上に偏見も強かったのではとお察しします。お父様のご決断も相当な覚悟が必要だったでしょうね。奥多摩の地は、どのように選ばれたのですか?
山下 実は、都内設立に反対意見が多く、奥多摩の山中に決まったという背景があります。私は大学を卒業後、銀行に勤めたものの、両親の走り回る姿を見て何かしら手助けしたい気持ちが強くなり、銀行を退職し参加しました。2003年の法改正と大幅な制度変更など、社会情勢の変化にも順応しながら、新しい取り組みにも挑戦しつつ今に至ります。