吉田 はい。卒業後は大手アパレル会社で受付として勤務していました。その当時、広告代理店に勤める知人の紹介で企業の商品のキャッチコピーを作成したところ、広告に採用されたんです。そこでコピーライティングの楽しさを知り、広告制作会社に転職しました。少数精鋭の会社で、少しずつ大きな仕事を任されるようになり、3年ほど勤務した後、独立したんです。
八木 なるほど。コピーライティングの仕事がご自身に合っていたと。もともとクリエイティブな発想力や、アイデアを生み出す素質があったんですね。
吉田 潜在的な素質があったのかは、自分ではわかりません。ただ、本当に楽しくて、仕事という意識はほとんどなかったですね。独立後は大手の広告代理店からもオーダーをいただきました。あるとき、鉄道会社のポスターを制作するために奈良に取材に行ったんです。とある古民家でモデルさんがくつろいでいるシーンを撮影するときに偶然、野良の子猫がいたのでその子猫を歩かせ、動きを感じさせることを提案したら、おもしろい、と採用されました。とても嬉しかったですね。
八木 すぐにアイデアをひらめくのはすごいですよ。そこから現在のお仕事をすることになったきっかけを、ぜひお聞かせください。
吉田 実は子どもが生まれた際に、毎日、発見がある子育てが好きすぎて、コピーライターの仕事は辞めました。そして、子どもが成人して独り立ちした頃に、何か始めたいなと思っていたんです。
そんなある日、たまたま豆腐を見ていて「そういえば豆腐ってどれも真っ白で、おもしろくないな」と感じたんですね。そこで醤油をかけると、「おつかれさま」とか「ありがとう」といったメッセージやイラストが浮かぶしかけを思いつき、特許を申請したら認可されました。それがまた嬉しくて、取得した特許を活用するビジネスを考えたんです。
さらに今度は、シチューをつくっている時に簡単に灰汁だけが取れる灰汁取り器を思いつき、こちらも特許を取得しました。
そんなある日、たまたま豆腐を見ていて「そういえば豆腐ってどれも真っ白で、おもしろくないな」と感じたんですね。そこで醤油をかけると、「おつかれさま」とか「ありがとう」といったメッセージやイラストが浮かぶしかけを思いつき、特許を申請したら認可されました。それがまた嬉しくて、取得した特許を活用するビジネスを考えたんです。
さらに今度は、シチューをつくっている時に簡単に灰汁だけが取れる灰汁取り器を思いつき、こちらも特許を取得しました。