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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール (さかい かずのり)神奈川県出身。生家は不動産業を手がけ、幼少の頃から建築を身近に感じて育った。小学生の頃に野球を始め、プロ野球選手を夢見ていたが肘を故障して断念。夢破れたショックから一時荒れた生活を送るも、「このままではいけない」と一念発起し、建築専門学校で学んだ後、大手建設会社に就職する。その後、大手不動産会社に移り、多くの経験と人脈を培った後、家業を継いで法人化した。【ホームページ
 
 
 
“壊す”というと、そこで全てが“終わり”になってしまうイメージを持つ人が多いだろう。株式会社サンライズの酒井一謹代表取締役も、肘を壊して野球を諦めざるを得なかった経験がある。その酒井社長は、建物を壊す──解体工事を生業としている。だが、壊すことは必ずしも“終わり”ではない。“始まり”のために“壊す”というのが酒井社長の持論。同社では施主の新たな歩みをサポートするべく業務に励んでいる。
 
 
 

野球選手を目指した学生時代

 
酒井 鈴木さん! お目にかかれて光栄です。私は鈴木さんの大・大・大ファンで、東京ドームのゲームはよく観に行きました。
 
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インタビュアー 鈴木尚広(野球解説者)
鈴木 それはありがとうございます! しかし、強打者でも豪腕ピッチャーでもない、私のファンでいらっしゃるなんて、野球通ですね(笑)。
 
酒井 鈴木さんの出場されるゲームは必ず3塁側で観戦しました。そのほうが、リードや走塁のテクニックがよくわかるからです。
 
鈴木 嬉しいなぁ。酒井社長も学生時代は野球をしていらしたのですか?
 
酒井 はい。プロ野球選手を目指して熱心に練習していたのですが、肘を壊して辞めざるを得なくなりました。夢破れたショックから、高校生の頃は生活が荒れていましたね。
 
鈴木 私も現役時代は頻繁に故障をしていましたから、その辛さはよくわかります。
 
酒井 また当時、父親は不動産業を営んでおりまして、バブルの崩壊で経営が苦しくなり、私は家計を助けるために毎日アルバイトをしていたんです。休日前には夜勤にも入るという過酷な生活で、自分の運命を恨んだものでした。