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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

 
プロフィール 兵庫県西宮市生まれ。プロ野球選手になる夢を抱き野球に明け暮れる日々を送るも、24歳で断念し、会社員に。いっぽうで、17歳からアルバイトで続けていたパチンコ台、スロット台の設置業務でいずれは起業することも想定し、実際に目標としていた30歳の時に独立して個人事業主からスタート。2012年、同事業を法人として展開するべく(株)横浜アビリティを設立した。【ホームページ
 
 
 
主にパチンコの新台取り付けを行うアミューズメント事業で、作業の早さ・正確さにおいて群を抜く技術を発揮している株式会社横浜アビリティ。10代からこの仕事で経験を積んできた成瀬司代表取締役は、一晩で台を付け替える重労働も「楽しくてしかたがない」と言ってのける。家族同然の信頼できる仲間にも恵まれ、造船電装や配送など、精力的に事業の幅を広げている成瀬社長に、自身のこれまでの歩みと会社の現在、そして未来について語ってもらった。
 
 
 

「この仕事なら負けない」という思いで独立

 
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インタビュアー 川村ゆきえ(タレント)
川村 アミューズメント事業や配送事業、造船電装事業を手がけられている横浜アビリティさん。もともとはアミューズメント事業のためにつくられた会社だそうですね。具体的には、どんなお仕事なんですか?
 
成瀬 アミューズメント事業では、パチンコ店が新しい機種を入れる時に、それまであったパチンコ台を外し、配線のことも含めて新台の取り付けを行っています。
 
川村 ああ! あの台って専門の業者さんが取り付けされているんですね。パチンコ店には仕事でよく行くのに、今まで知りませんでした。
 
成瀬 それはきっと、夜間に作業しているからでしょうね。だいたい日曜日の閉店後に取り付けるんですよ。
 
川村 なるほど、それで月曜の朝には新型機がずらりと並んでいるわけですね。成瀬社長はどんなきっかけでこの仕事と出合われたんですか?
 
成瀬 17歳の時に、高校の野球部の先輩に紹介されてアルバイトを始めたのが最初です。もともとはプロ野球選手になりたかったので、高校を出た後も野球を続けながらバイトで週1回程度この仕事をしていました。その後は24歳の時にあえなく野球でプロになるのを断念して、自動販売機の商品補充をしている会社に入社。それからもパチンコ台取り付けの仕事は“副業”として続けており、30歳を迎えた時に会社を辞めて、当社を設立しました。
 
川村 高校生の時にアルバイトでしていた仕事で会社を興すことになるなんて、なんだかすごいですよね。そんな未来、ご自身では想像していました?
 
成瀬 最初から、この仕事は自分に向いているな、という感覚はありましたね。たぶん、この仕事でなら誰にも負けないし、プロになれてもなれなくても将来もやっていくだろうと18歳の時から思っていました。会社を興せるとしたら、この仕事だろうと。
 
川村 すでに18歳の時から! それだけ確信があったんですね。なにより立派なのは、野球の次だとしても、当初の目標をちゃんと叶えたことですよ。