山川 本日は囲碁将棋サロン、棋心さんにお邪魔しています。石田代表のご専門はどちらですか?
石田 将棋です。小学生の頃に始め、高校生の時は全国選手権の群馬県代表にもなりました。その後進んだ慶應大学でも1年生の頃から関東大学将棋リーグにA級校のレギュラーとして出場していましたよ。プロを目指そうと考えたこともありますが、定められた順序を踏む必要があり、それを知った時には年齢オーバーでした(笑)。ちなみに、山川さんのお子さんは今おいくつですか?
山川 2015年で5歳と2歳になります。将棋や囲碁を覚えると頭が良くなると聞いたので、親としては興味があるのですが・・・。
石田 5歳ならもう始められますし、プロを目指すことも不可能ではありません。ちなみに中国の上海では、学習支援の一環として日本の将棋を授業に取り入れている学校もあるんですよ。
山川 それは良いことを聞きました! 真剣に検討します。大学を卒業されてからは、どういったお仕事に就かれたのですか?
石田 日立製作所に入社し、半導体事業部に配属されました。以来、30年近く半導体畑で働きましたよ。日立半導体事業部は後に三菱と合弁してルネサステクノロジという企業に。その後、NECとも合弁してルネサスエレクトロニクスとなりました。私を含めた社員たちは全て合弁会社へ移籍しましてね。私は一貫して半導体を使用したソフトウェア設計開発に携わり、随分と働いたつもりです。ルネサス時代は、当時脚光を浴びたワンセグ携帯のソフトウェア開発チームのプロジェクトリーダーを務めていました。携帯電話メーカと協力してワンセグ搭載の携帯を日本で初めて創ったんですよ。
山川 輝かしいキャリアをお持ちなのですね。でも、開発のお仕事となると超多忙だったのでしょう。その時も将棋は続けていたんですか?
石田 1ヶ月に1度しか家に帰れない時期もあり、将棋は10数年も全く指していませんでした。46歳の時に本社勤務となったのですが、今度は海外出張ばかりで。海外が好きなので苦になりませんでしたが、1年のうち半分は出張でした。
山川 それはハードだなぁ。その後、囲碁将棋サロンを開かれたのはなぜでしょう。