介護する側もされる側も
負担が軽くなる移乗用ボード
小山 ええ、それで気を取り直した彼は、ヘルパー2級の免許を取得して介護施設で働き始めました。すると、たちまち腰や腕が痛くなったそうなんですね。そこで何か良いものはないかと施設内を見回して、ホコリをかぶった移乗用ボードを見つけました。ヘルパー仲間に聞くと 「滑りが悪くて使えない」「デザインがいまいち」「使い方がよく分からない」 と散々な評判だったとのこと。でも彼は、それを聞いて 「ちゃんと改良したら皆が便利に使うようになるんじゃないか」 と考えたのです。
五十嵐 元デザイナーとしての勘が働いたのでしょうね。
小山 そう。彼だからこその着眼だったでしょうね。そこから、彼の知人で、別の自動車メーカーでカーオブザイヤーを受賞した一流デザイナーの大熊さんが独立していたので声をかけて、3人がそれぞれの経験とノウハウを持ち寄って、新しい移乗用ボードを開発することになりました。
五十嵐 実力派のメンバーが集まりましたね。開発はどのように進んだのですか?
小山 矢崎君は甲府、大熊さんは愛知県の岡崎、私は川崎とバラバラなので、打ち合わせは Skype がメインでした。最初は事務所もなかったので、開店直後の人が少ない喫茶店でテーブルを寄せ集めて矢崎君とデザインの打ち合わせをして、それを写真に撮って大熊さんにメールで送ったりして開発を進めました。頻繁に集まれないハンデも、志が一つだったから問題なかったのですが、対外的に必要に迫られ、4月に会社を設立したのです。
世のためになってこそ
事業を続ける意味がある
五十嵐 経営者になった今、ご自身で変わった部分はありますか?
小山 社会貢献できる仕事をしたいと考えるようになりましたね。私は教育関係の出版社、編集プロダクションで編集や広告の仕事をしましたが、学習塾の塾長をしていた頃にマネジメントも覚えました。でも、一番充実しているのは今かもしれません。だって、直接世の中の役に立つことですから。お金をいくら儲けても、死んだら持っていけないでしょう?それよりも、人間の長い歴史の中では私たちはゴマ粒より小さいかもしれないけれど、社会のために何かを残したいと思っているのです。