以前の競合先を支援することになり
九州に乗り込んだ俺
それから3年経ち、今度はその会社の競合から呼ばれたわけだが、行って両社の違いにビックリした。社長は父親が3年前に他界し家業に入って19年目の長男が後を継ぎ、60代のお母さんが現役で、20人ぐらいいる従業員を束ねている。聞けば仕入れもお母さんがやっているそうで、ご本人いわく「私は仕事が生きがいなの。それに、私が引退したら会社がまとまらないわ」ということだった。
その一言でこっちはもうわかるわけよ。「この会社の企業文化はお母さんのDNAで成り立っている」ということが。もちろんお母さんも未来永劫はやれないから、自分の仕事は長男の嫁に引き継がせるつもりでいたらしい。でも、私の見立てで悪いけど、どう見てもそのお嫁さんはその役に向いていない。お母さんは豪快そうに見えて実は細かいところまで管理しているタイプで、長男の嫁はどちらかというと、一見細かそうに見えて実は天然が入っているタイプだ(笑)。持ち味が違うから、無理にお母さんの仕事をやらせてもお互いにイライラが募るだけで良い結果にならない。みんなを集めた場で話を聞きながら、私はそういうことを見抜いて指摘していった。
2人の兄弟とお母さんの涙
子育てが正しかったことを共有した日
「なんで次男は役員になっていないの? なんで長男社長は弟をヒラのまま使っているの? あなた(次男の嫁)もこれではやってられないよね。東京にいたら時給2000円ぐらいとってただろうに、こんな田舎に来てさ、兄嫁と姑に気を遣いながら働いてさ、亭主は3年も忠誠を尽くして頑張っているのにヒラ社員のままでさ、それで君はパート社員とは、冗談じゃないよね。
お母さんの立ち位置もおかしいよ。この会社はお母さんで持ってきた会社だよ。なのに、いつまでヒラ役員にしているの。早く会長になってもらって、兄弟で神輿を担いでお母さんが築き上げてきたDNAを具現化していくのが本来の姿でしょう。――私からお母さんにお聞きしますが、性格とかタイプがご自身に一番似ているのはこの中で誰ですか?」
お母さんが選んだのは次男だった。私は言った。
「よし決まった。次男を役員にしてお母さんの仕事を継がせましょう。彼の給料をもっと上げて今の倍働いてもらいましょう。経営はご長男がしっかりやってくれるのはわかりましたから、他のお母さんの仕事を次男に譲って、ご自身は安心して会長職に退けるよう、その形をこの1、2年かけてつくっていきましょう」
長男社長は深く頷いて、即断即決で「そうします。それがいい」と言ってくれた。そして実際、秋から次男が役員に入ることがもう決まっている。私は思った。――「お母さんも立派だが、長男も立派だな。いや、正確にはこの家族が立派なんだな。兄弟がお母さんを中心にきちんと家業に向き合っている。お嫁さんたちも嫁ぎ先の家を支えようとそれぞれに頑張っている。みんなの気持ちがお母さんを中心に一つにまとまっている」
私のこの理解は次男の話が裏付けてくれたと思う。次男は父親(先代)が亡くなるまでは郷里に帰るつもりなんて、さらさらなかったそうだ。子どもの頃は両親とも店があるから毎日仕事仕事で、普通の家庭のように家族みんなで夕食を囲むとか、週末に家族で出かけるとかしたことが一度もなかった。学校から帰ると家で過ごすのではなく、お母さんがいる店に向かう。夕方に交代して家に帰った父親が、晩御飯をつくって弁当に詰めて店に持ってくる。お母さんはお客さん対応の合間に店の奥で、弁当で晩御飯をすます。彼もお母さんと一緒に弁当を食べる。それが毎日の夕食だったという。
そうやって親の苦労を見てきたから、彼は自営業だけはやりたくないと思って東京でサラリーマンになった。でも、営業職だと土日もクライアントの手伝いで普通に働きに出たりする。それで「会社員も結局同じだ。だったら家業を手伝おう。故郷で母さんと兄ちゃんを支えよう」――そう思い始めた。だから戻る決心をしたのだそうだ。
次男の話は同じ商人の子として私の心に響いた。またお兄さんは、20代の頃に生きるか死ぬかの大手術をされていて、だからだろう、お母さんは亡くなったご主人よりも人としての器量も経営の能力も息子のほうが断然上だと私にハッキリ言った。そんな長男に加えてこの次男だ。私は「この兄弟は間違いない」と確信した。そうして二日間にわたる家族経営会議でグランドデザインを摺り合せ、最後にお母さんと二人きりになったとき、お母さんが私に聞いてきた。
「私の子育ては間違っていなかったでしょうか」――私は心から言ってあげたよ。
「何を言ってるの。何の間違いがあるの。子育てってさ、かわいいかわいいで育てればいいってものじゃない。あなたは自分が仕事ばかりで子どもにろくに手をかけられなかったことをずっと引け目に感じていたかもしれないけど、でも、後悔する必要ないよ。私は息子さんたちを見て「間違いない」と思ったよ。それは自分にも重ねて言っているんだ。子どもに申し訳ないことをした、手をかけてあげられなかったという思いが私にもある。だからお母さんの気持ちは痛いほどわかる。――だけどさ、そうじゃないんだ。今兄弟2人と嫁さん2人が協力して、お母さんが築き上げてきた会社を発展させようとしている、この事実が、あなたの子育ては間違っていなかったことの一番の証拠じゃないのかい。親が必死で仕事をしている姿っていうのは見せとくもんだね。良かったねお母さん、息子さんたちは立派に育ったよ」
「正しかったんですね、私」
「うん、何も間違ってない。だから早く引き継いで、あとは好きなように生きたらいいよ。長生きしてね。長生きしないと駄目だよ」
今のまま二刀流を続けるか
自問している自分がいる
皆さんは「他のコンサルタントに任せたら?」と思うかもしれない。でも、普通のコンサルタントは「同族経営は危険だからお止めなさい」で終わりだ。それがセオリーだから。――だけど、じゃあ、いろんな事情でセオリー通りにできないところは誰が助けるの? それとも、そのまま潰れろって言うのかい?
大谷君の本分は野手だ。そして私の本分はコンサルタントだろうと思っている。
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vol.57 九州のとある町にて。家族の物語に心を震わされた日。
著者プロフィール
佐藤 勝人 Katsuhito Sato
サトーカメラ代表取締役副社長/日本販売促進研究所.商業経営コンサルタント/想道美留(上海)有限公司チーフコンサルタント/作新学院大学客員教授/宇都宮メディア.アーツ専門学校特別講師/商業経営者育成「勝人塾」塾長
経 歴
栃木県宇都宮市生まれ。1988年、23歳で家業のカメラ店を地域密着型のカメラ写真専門店に業態転換し社員ゼロから兄弟でスタート。「想い出をキレイに一生残すために」という企業理念のもと、栃木県エリアに絞り込み専門分野に集中特化することで独自の経営スタイルを確立しながら自身4度目となるビジネスモデルの変革に挑戦中。栃木県民のカメラ・レンズ年間消費量を全国平均の3倍以上に押し上げ圧倒的1位を獲得(総務省調べ)。2015年キヤノン中国と業務提携しサトーカメラ宇都宮本店をモデルにしたアジア№1の上海ショールームを開設。中国のカメラ業界のコンサルティングにも携わっている。また商業経営コンサルタントとしても全国15ヶ所で経営者育成塾「勝人塾」を主宰。実務家歴39年目にして商業経営コンサルタント歴22年目と二足の草鞋を履き続ける実践的育成法で唯一無二の指導者となる。年商1000万〜1兆円企業と支援先は広がり、規模・業態・業種・業界を問わず、あらゆる企業から評価を得ている。最新刊に「地域密着店がリアル×ネットで全国繁盛店になる方法」(同文館出版)がある。Youtube公式チャンネル「サトーカメラch」「佐藤勝人」でも情報発信中。
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