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社会 伊東乾の「知の品格」 vol.18 謙虚さと率直さとユーモアと 言葉の手触りから(2) 伊東乾の「知の品格」 作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

社会
 
(前回からの続き)
 
 

「文化の潮目の地」を背景に持つ意味

 
フランスで起きたイスラム過激派を名乗る犯人による雑誌編集部の襲撃は非常に残念な事件でした。
 
正直に申して、これが21世紀のサライェヴォ事件のようなものにならないことを切に祈っています。サライェヴォ事件とは1914年、東欧セルヴィアでオーストリア皇太子が暗殺された事件で、これが引き金となって第一次世界大戦が勃発してしまいました。
 
アル・カイーダやイスラム国憎しの論調が大勢を占める様子ですが、今回の襲撃犯は独立して行動したものと思われ、全面的なレッテル貼りで反感や嫌悪が無用に増幅しないことを祈るばかりです。
 
キリスト教世界でのイスラムへの偏見や反感を見るたびに、私がどうしても思い出さざるを得ないのが、前回もお名前を挙げたヨンちゃん先生ことホセ・ヨンパルト神父様です。
 
ヨンパルト先生はスペイン国籍、地中海に浮かぶマヨルカ島のご出身でした。マヨルカは直径約100km、四国の半分ほどの大きさの島ですが、バルセロナの真南200kmほどの所在であると同時に、アルジェリアの首都アルジェの真北300kmほどに位置し、まさに地中海文明、もっとはっきり言えばキリスト教世界とアラブ・イスラム世界の潮目のような文化をもっているらしい。
 
そもそも長らくイスラム勢力の支配が続いたスペイン、ポルトガルなどイベリア半島です。「スペイン語はラテン語のアラビア語訛り」と言っても大きく外れないという話すら聞いたことがあります。言語についてはともかく、スペイン音楽は西欧音楽のアラブ音楽訛りという見方は、かなり正鵠を射ているように思います。
 
こうした地方で生まれ育ったホセ・ヨンパルト上智大学名誉教授は、終生、アラブに対する近親感と、イスラム文明の先進性、優越性を強調する、不思議なカトリックの神父様でありつづけました。
 
 

西欧文明はアラブの引用

 
ヨンパルト神父様に教えていただいて、もっとも印象深い一つは、人間の「自由意志」の起源がイスラム世界にある、という事実です。上智大学の法哲学教授であったヨンちゃん先生は、古代からの法制度の変遷のなかでイスラム法が果たした決定的な役割を強調されました。
 
例えば古代バビロニアの「ハンムラビ法典」は「目には目を、歯には歯を」という復讐法で有名です。ある人の目を損ねた者は、自分自身も目をもってあがなわねばならぬ。人の歯を折った者は本人も歯をへし折られるべきだ・・・といった「復讐法」。
 
古代人の作った法制度ではありますが、ある意味とても理にかなった面もあるといいます。が、ここで欠如しているのは「故意」か「過失」か、という違いです。
 
例えば、まったく作為も意図もなく、何気なくとった行動の結果、風が吹いて桶屋がもうかるくらい巡り巡って、誰かの歯が結果的に折れてしまったとしましょう。
 
ハンムラビ法典の考え方では、なんであれ人の歯が折れたなら「歯には歯を」が原則の復讐が正義とされます。が、ここで故意と過失、つまり個人の自由意志に基づく犯罪であるか、意図せぬ行動、過失に基づく出来事であるかを区別する考え方がされた。今日の常識では当然と思いますが、実はこの考え方が導入されたのが、イスラム法だとヨンちゃん先生は言われるわけです。
 
西欧社会にこうした責任の有無や自由意志の考え方が導入されるのは、主としてトマス・アクウィナスによる「神学大全」編纂の時期といわれます。神学といっていますが、今日の観点からは、ほとんど神聖裁判のための法典のようなテクストである「神学大全」。このトマスの偉業は、実はイスラム世界で発想され、法にまとめられ、法学として磨かれてきたものを、ほとんどそっくりそのまま導入して為されたものであると、ヨンちゃん先生は教えます。
 
「ルネッサンスは素晴らしいといいますが、アリストテレスもプラトンも、当時のヨーロッパはギリシャ語から直接ではなく、アラビア語で注釈され、検討されたラテン語訳から学びました。近代ヨーロッパの本当の先生はイスラムです」
 
カトリックの神父でありながら、イスラム教を正当に評価し、その美点への賛辞を惜しまない。これはユダヤ教に対しても、さらには日本で知った仏教の叡智にも、まったく同様の謙虚で率直な感想をもち、それを隠さない。表明することに躊躇もしない。
 
そういう本当の「知の品格」を<変な外人>を自称されるヨンパルト神父様に教えていただきました。本当の知性とは、一休さんじゃないですが、ユーモラスな面持ちをしている様子です。
 
(この項続く)
 

  執筆者プロフィール  

伊東乾 Ken Ito

作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督

  経 歴  

1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒 業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後 進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの 課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経 BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。

 
(2015.1.21)
 
 
 

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