新しい年を迎えるに当たって「いのち」を考える繊細な言葉のニュアンスを考えてみたいと思います。そういう知の品格が大切なのですが、なかなか重視されない昨今の日本、少し落ち着いて、デリケートな言葉の手触りを感じてみましょう。
「生命(せいめい)」では表しきれないもの
例えば「生命」という言葉と「命」という言葉。この二つはどのように使い分けられているでしょう?
一方で「生命倫理」「生命科学」「生命力」・・・といった表現が有るのに対して「命がけ」「命づな」「命知らず」といった用法があります。
決して「命倫理」「命科学」「命力」とは言わないし「生命がけ」「生命づな」「生命知らず」とは言わない。私たちは「生命保険」に加入しても「いのち保健」では何となく落ち着きどころが悪いですね。
何が違うのでしょう? 生命という言葉が生物学的なライフを扱うのに対して、いのちという言葉がどちらかというとそれ以上の人間性を含意しているように思われます。
例えば「あいつは命知らずの向こう見ず」なんていうときは、ただ単に動物としての生命がどうこうという以上に、根性というか、「魂」みたいなものが見え隠れしますね。むろん「命づな」などは即物的な意味にも使われますが「小選挙区では落ちたけど比例代表が命づなになった」などと比喩として使う場合もあるでしょう。
この「命」と「生命」という二つの言葉のニュアンスの違いを私に指摘して下さった方があります。実は日本人ではありません。マヨルカ島出身のスペイン人、
ホセ・ヨンパルト神父様でした。
「いのち」を考える知の品格
ヨンパルト先生は長年上智大学の教授を務められた法学者、法哲学者で、後年は特に死刑廃止問題に深く関わられました。私は刑法の團藤重光先生のお手伝いをする過程で「ヨンちゃん先生」ことヨンパルト神父様とお知り合いになり、さまざまなお教えを戴きました。
ヨンパルト先生は自ら「変な外人」と名乗られ、ラテン系のご出身らしく常にギャグを絶やさないユーモア溢れる素晴らしいお人柄です。残念ながら2012年4月に亡くなられましたが、多くの著書が遺されています。機会があればぜひ読んでみていただければと思います。
「日本ハ法治国家ト言イマスガ、ソレハ正シクナイデス。タダシクハ放置国家」
ヨンちゃん先生のギャグは、そこそこ多くが日本語の同音異義語でできている《親父ギャグ》ですが、その一つ一つが、同一の音で示されながら異なる意味を持つという、外国人にとっては面倒きわまりない日本語の機微に触れ、一つ一つ辞書を引き、そこで感じ考えて発想されたものと思います。
同時に日本語には同じ意味を表す複数の言葉があり、これにもヨンちゃんは長年悩まされたとのこと。例えば
わたし わたくし 僕 俺 わらわ それがし みども 余 おれっち あちき・・・
すべて一人称の自分を表す言葉ですが、その選択によってさまざまな文脈が決定してしまう。「変な外人」として一番苦労されたのが日本語の豊かな「同音異義語」と「同義異語」のボキャブラリーとおっしゃっていました。
その中で「生命」と「命」という二つの言葉も、同じ意味を表すようでいて、実は微妙に切り取るニュアンスが違っている。
そういう繊細な差異を感知し、それを「分ける」ことで「分かる」つまり「解る」ようになる。そういう知のデリカシー、品格あるユーモアを常に湛えたヨンちゃん先生でありました。
ヨンパルト先生は神父様ですから、キリスト教の教える「永遠の命」と、生物学的に必ず迎える肉体の「生命」の死を区別して、二つの言葉を使い分けています。実は彼の母語であるスペイン語では、どちらもvidaと表現して、別の用語を用いません。英語でいえばライフに相当します。原始キリスト教会で書きためられていったギリシャ語の聖書では、肉体の「生命」を「アニマ」、霊魂の「魂」を「ゾーエー」と呼んで区別したそうです。
現代日本社会は生物学的なライフとしての「生命」の議論ばかりが重視され、人の心、魂を大切に考えないのがとても残念、とヨンちゃん先生はよくおっしゃられました。ソレは何も死後の生命とかそういうことではないのです。
例えば「命に別状はないか?」というような問いが発せられる時、日本人はしばしば怪我や病気など生物としてのライフのことばかりを考えます。例えば地震や津波に遭遇した人をケアする、というとき、その人の体の健康を重視し、心の安全や魂の健康を後手にする、そういうことはスペインでは考えられない、というような、具体的な話ばかりです。
ヨンちゃん先生からうかがったお話から、幾つか品格に溢れる知の面目躍如といったケースをご紹介してみましょう。
(この項続く)
執筆者プロフィール
伊東乾 Ken Ito
作曲家・指揮者/ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督
経 歴
1965年東京生まれ。松村禎三、松平頼則、高橋悠治、L.バーンスタイン、P.ブーレーズらに師事。東京大学理学部物理学科卒
業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後
進の指導に当たる。西欧音楽の中心的課題に先端技術を駆使して取り組み、バイロイト祝祭劇場(ドイツ連邦共和国)テアトロコロン劇場(ア
ルゼンチン共和国)などとのコラボレーション、国内では東大寺修二会(お水取り)のダイナミクス解明や真宗大谷派との雅楽法要創出などの
課題に取り組む。確固たる基礎に基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進。06年『さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗っ
た同級生』(集英社)で第4回開高健ノンフィクション賞受賞後は音楽以外の著書も発表。アフリカの高校生への科学・音楽教育プロジェクトな
ど大きな反響を呼んでいる。新刊に『しなやかに心をつよくする音楽家の27の方法』(晶文社)他の著書に『知識・構造化ミッション』(日経
BP)、『反骨のコツ』(団藤重光との共著、朝日新聞出版)、『指揮者の仕事術』(光文社新書)』など多数。
(2015.1.7)