それも踏まえて読むと、本書は経営者個人の身の振り方についての実用書にとどまらない、社会的意義を持つ書籍です。「社長! どうなるにしても取引先や従業員に迷惑をかけないよう、考え方から動き方まで、今から勉強して準備しておきましょうよ」と勧めている本だからです。
でも、それはどちらかというと表面の話。本書の核心は「経営者ももっと自由になっていい」というメッセージのほうにあると思います。もっと自分本位で生きていい、と。代表的なエピソードを第4章108ページから引用します。
「「もし会社を閉じることになった時、一番気になることはなんですか?」
「やはりスタッフのことですね。雇用は残さなければ」
「しかし、赤字の会社はずっと続かないですよね。このままだといずれ会社も雇用もなくなります」
「そうですよね。しかし、スタッフはこの仕事が好きなので‥‥‥」
建前や表面上の話が続き、堂々巡りが続く気配を感じました。そこで過去の話から社長の核心に迫るアプローチをとりました。‥略‥社長も自らに対する発見があったようです。「自分は周りの目を気にしすぎるところがあった。‥略‥今回も、何か言われることが嫌だから、難点を持ち出しては、決断を先延ばしにする道具にしていた」。そして、「もう十分苦労をしてきた。これからは背負うものを減らして自分の人生を楽しめるようにする」‥略‥それからは、廃業を決断し、最後まで迷うことなく突き進むことができました。」(第4章 資産超過×黒字は「決断あるのみ」より)
著者の奥村聡氏は「事業承継デザイナー」を標榜する司法書士。かつては自身も10年間、十数名を雇って司法書士事務所を経営し、もっとさかのぼれば、家業で大成功したお祖父さんが最後に全財産を失って悲しい晩年を送る様子を見たとのこと。そんな体験があるからこそ、「社長のおわり方」「中小企業社長の流動化」を模索するようになったそうで、引用箇所は人によっては「経営者がそんなことでどうする!」と憤慨するでしょうが、評者はそうは思いません。著者とその社長との間にピアカウンセリングが成りたった末の結論に対して、何か言う資格が他者にあるでしょうか。
本書で著者は全編を通じ「廃業視点」の重要性を強調します。45ページでは「中小企業の着地のスタンダードは、承継ではなく廃業です」と喝破します。承継は理想であって、中小企業経営者の新陳代謝が進んでいないのは、誤って「承継・M&A」を基準にしていることが原因の一つだと。第6章206ページではそれが引き起こす迷惑の例が言及されます。
「「従業員のことを考えると廃業の決断ができない」という声はよく聞かれます。しかし、雇用の継続ができないとわかったならば、できるだけ早く解放してあげることがお互いのためです。引っ張るだけ引っ張って「やっぱり無理でした」というのは最悪です。」
また、209~212ページでは、廃業視点を持つことで迷惑を最小限に抑える考え方が展開されます。代表的な一部を引用。
「顧客のことが気になって、社長が廃業決断をなかなかできないこともよくあります。‥略‥しかし、できないものはできません。‥略‥ヤマダ製作所のように、期限を決めて仕事を依頼できる最後のチャンスを作ってあげれば十分だと思います。当面必要な商品やサービスは確保しつつ、新しい供給先を探してもらえばよいでしょう。」(両引用とも第6章 資産超過×赤字は「逃げの一手」より)
これらの指摘から気付くのは、「会社は残らなくても社会は残る」ということです。言葉遊びみたいですが、本質を突いているはず。社会は公共財です。その中身は、会社(=経営者)から見て、なんの因果か偶然にも被雇用者として顕現したところの他者であり、取引先として関係したところの企業であり、エンドユーザー向けの事業であればお客様として関係した市民です。社長が会社をたたむから彼らが野に残される、のではない。彼らは他動詞的存在ではない。自動詞的存在です。社長がどうしようがどうなろうが――死没しようが蒸発しようが――社会に残り、新たな網の目を形成していく。それだけです。となれば、会社(=経営者)の心がけとしてはもう、「メメント・モリ(死を思え)」しかないではないですか。
評者はどうしてもベースが文学なので文学表現に託しますが――なので「死」も自殺のことではないことを強調しておきますが――、「会社は残らなくても社会は残る」とは、吉本隆明が「関係の絶対性」という言葉で表した事態です。本書の全編を通じて「つまりメメント・モリということだな」と感得したのと同時に、同じメッセージが吉本にもあったぞ、と思い、見つけたのが以下の一節でした。
「ある高名な文学者は、〈死〉の病床で、やりのこした仕事をおもい暮夜ひそかに涙をながしたと日記のなかに書いていた。わたしには嘘であるとおもわれた。わたしたちは、やりのこしたために涙を流さなければならないような仕事を、この世でもつことを禁じられているはずである。」(中公文庫『書物の解体学』p80)
本書冒頭、目次ページの前に「社長のための着地失敗「危険度」チェックリスト」が載っています。第4章から7章は「会社が残る-残らない」軸と「自主的なおわり-強制的なおわり」軸との四象限図でわかる「着地の4パターン」をもとに、より良い「会社の手放し方と社長のやめ方」を、パターンごとに具体的に指南しています。本書は著者が“会社のおくりびと”として関わった800社以上での経験の集大成だそうで、まさに今求められている一冊だと思いました。お勧めです。