著者は地方のパン屋さんから冷凍でパンを仕入れて毎月定期宅配する通販ビジネスを手がける矢野健太氏。『がっちりマンデー』や『ガイアの夜明け』『WBS(ワールドビジネスサテライト)』などの情報番組で取り上げられて有名になった「パンスク」の運営元である株式会社パンフォーユーの代表取締役です。本書はその“やのけん”(18ページで学生時代の友人が著者を呼んだ愛称)こと矢野社長が、地元のNPOを退職し投資ファンドに転職を試みるも中途半端さを見抜かれて却って起業に目覚め、試行錯誤を経て失敗の活かし方と事業開発の楽しさを知り事業を軌道に乗せるまでの、体験記兼事業開発のヒント集です。
「毎月」「定期宅配」という点からわかる通り、パンスクは「パンのサブスクリプション」サービスです。販路を広げたい、売り上げを伸ばしたい、でも商圏的になかなか難しい、そんな地方のパン屋さんに加入してもらい、何のパンが来るか届くまでわからないワクワク感込みでおいしいパンを買いたい消費者とつなげるという、著者の言葉にならえばパンの「プラットフォーム」です。
評者もそのつもりで読んでいました。――が、ほぼ終わりまで来て「あっ!」と思ったのが221ページ。コロナ禍によるリモートワークの普及でオフィス需要が止まったときの対応を述べた下記の3行でした。
「オフィスの需要は止まっていますが、オフィス向けのパンは作り続けています。パン屋さんへの発注を止めるとパートナーであるパン屋さんに迷惑がかかりますから、発注は維持。これが基本方針です。」
プラットフォームビジネスの定義に照らすなら、需要側の状況変化に伴うリスクを供給サイドに負わせずに中間業者がかぶるのであれば、それはプラットフォームビジネスとは呼べません。単に流通・小売業です(褒めています。念のため)。ついついITプラットフォームのほうに寄せて読みたくなりますし、そう理解しがちですが、本書が言う「プラットフォーム」は広義のそれであることは読者のために知らせておきたいと思います。
この点(プラットフォームビジネスではない)と相通じる箇所が98ページにあります。ここは著者のために書き出しておいてあげねばと思いました。引用します。
「タピオカを作っていた店員さんが、明日から急に唐揚げを揚げるような事業ではなく、働く、稼ぐ、誰かの役に立つ、お客さんに喜ばれるといった普遍的な価値を高めて、働いている人には経済的な利益とやりがい、その姿を見ている子どもたちには仕事をする意義を提供できる事業をしたいわけです。‥略‥経済的に、人間関係的に、自然環境的に、持続可能か、長く維持していけるか、という視点で、パンを軸とした事業をしたいと思っています。」
正直なところ、書籍への評を離れてビジネスとして見れば、一個人の感想ですが、不安がないわけではありません。「何県の何々ベーカリーの何々パンがおいしい」という情報がプラットフォーム(広義の)から独立して出回り始めれば、お客は何々ベーカリーから直接買うようになるわけで、そうなれば価格面でもパンスクのビジネスを圧迫してくるはず。よほど独自の冷凍技術がありそれを自社で囲い込み続けるのでない限り、結局は「つくれる人が一番強い」という原則に戻りそうに思います。
そして、この点を著者は、「それでいい」と思っている気がします。それくらいつくり手にリスペクトを感じながら経営しているということです。このリスペクトと、前書きにある「地域の経済、雇用、活力アップに貢献する」という軸がぶれなければ、市場を一通りスクリーニングし終わる頃にはまた次の事業を生み出していそう。――そう期待させる点で、このタイプの書籍に求められる「著者とその企業の名刺代わりになる」というミッションはしっかり果たした一冊だと思いました。
いっぽうで難があるとしたら、後半になるにつれ、やたらに体言止めが多くなること。「~です。」と書くべきはずの文章で「です。」を省きすぎです。ファッション誌のキャプションテキストでもあるまいに、これはいただけない。著者へのリスペクトを疑ってしまいます。読者には、後半体言止めの箇所は「です。」を脳内補足しながら読み進められるようお勧めします。
ここでもう一度書籍の評を離れて、ビジネスモデルの評価も離れて、事業開発の体験記兼ヒント集として読んだとき個人的に一番虚を突かれた箇所は、第5章「全業務を一人でこなすことの大切さ」の153ページ、「事業家の役割は「調整」と「ゼロイチを生み出すこと」」の一節でした。少し長いですが引用します。
「人を確保したあとは、自分は現場でオペレーションする立場を離れるわけですが、各部門で専門家を揃えれば事業がうまくいくかというと、そんなことはありません。/優秀な人を集めてもコミュニケーションがうまくいかなければ事業は動きませんし、営業、マーケティング、製造などが専門的な立場で主張し合うことによって意見が割れることもよくあります。/‥略‥各部門の声が大きく、「立場が」「メンツが」「既存の仕事のやり方が」といった理由でぶつかるため、なかなか新規事業が立ち上がらず、動かなくなってしまうのです。/事業家は、この調整役を担います。」
評者はここで「優秀な人を集めてもコミュニケーションがうまくいかなければ」の、「集めても」と「コミュニケーションが」の間に、「その人たち同士の」と赤で書き足さずにいられませんでした。しかもここ、その人たちと事業家すなわち自分とのコミュニケーションはちゃんとうまくいっていることは、言わずもがな前提とされています。線で引っ張って赤で書き足しながら、「つらいわー、これキッツいわー」と思わずつぶやいてしまいました。こんな面倒くさいこと――ありていに感じるままを言えば「範疇外のこと」――、評者はやれる自信がありません。
そしてここが「社長」ではなく「事業家」になっている点が、見過ごしそうですが、重要なポイントだと思います。一つには「著者の本質は社長タイプではなく事業家なんだろうな」と思わせる――そしてそれはたぶんその通り――ことと、もう一つは、「じゃあ事業家ってどういう人なんだろう」と考えさせられるからです。
どういう人が事業家かもわからずに「この人の本質は事業家」と判断できるのはおかしい、というのは嘘です。その指摘は当たりません。むしろ、「事業家ってどういう人だろう」と思うからこそ、どうあればいいかを追究し続けることができる。その追究の努力を止めない限りにおいて、副産物として事業も生まれるし、善き事業家でいられるのだと思います。
ベンチャーとスタートアップの違い、社長と事業家の違い、etc・・・。そんなところから始めて商品や事業を企画すると、自分のカラが破れるかもしれませんよ。