この一節からわかるとおり、また実際読んだ感想としても、本書は去年発売で今もビジネス書ベストセラー1位を続けている『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』(日経BP社)と対照的な位置づけの本だと思います。
評者は『FACTFULNESS』のほうは手が伸びないのですが、解説や著名人の寸評を見聞きするにつけ、「みんな現状に文句言うけど、昔に比べて世界はこんなふうに良くなってきたんだよ!」という趣旨の本なのはわかります。
それに比べて本書は、「これから世界はこんなふうに良くなる可能性があるよ!」という本です。しかもその“これから”が、ごく近い未来、せいぜい一世代先(2050年頃まで)を指しているところがいい。試みに、今年2020年か2021年に具体的な動きが予定されているテクノロジーをいくつか抜き出してみます。
◇アミロイドβ仮説によるアルツハイマー病の根本治療薬。今年承認申請予定。日本のエーザイとアメリカのバイオジェン社。(p151)
◇従来は治らないとされてきた脳損傷や脳梗塞の再生医療薬。来年1月に国内で承認申請予定。日本のサンバイオ社。(p152)
◇検査会社に便を送らなくても排便時の臭いから腸内細菌を評価するトイレ。今年めどに実用化予定。日本のTOTO。(p167)
◇Amazon Goのように店内の顧客の行動をすべて録画し、解析してマーケティングデータとして提供するRaaS(Retail as a Service)のレンタルショールームサービス。今年夏に日本でも展開予定。アメリカのb8ta(ベータ)社。(p193)
国内で薬価が初めて1億円を超えて話題になった脊髄性筋萎縮症の遺伝子治療薬「ゾルゲンスマ」は、すでに3月に承認されているので省きました。他にも、今年来年に限らなければ、「〇〇年頃実現予定」と具体的に紹介されるテクノロジーがいくらでも出てきます。それらすべてに開発販売元の企業名が紐づいている点が――そしてそれらが太字で強調されている点が――、個人投資家および潜在投資家を対象とする本書の“らしい”ところ。
Amazonを見ると7月1日現在でまだレビュアーのコメントがないのは、『会社四季報』と同じで一方的に情報を受け取る用の書籍だから評の対象にはならない、という位置づけなんでしょうか。こういうのって、「投資判断用参考書籍」というジャンルがすでにあるんでしょうかね。あるとしたら、評者はこのジャンルの本は初めてですが、すごくおもしろいですね。
本書は大きく分けて4部構成になっています。テクノロジー関連の株式投資がお勧めであることを述べる第1章。テクノロジーを人間の欲求と歴史との相関で定義する第2章。直近の汎用技術として社会を大きく変えることが予測されている3つのテクノロジー(IT、バイオ、ナノテクノロジー)を詳しく解説した第3章。そして最後に、それら三つのテクノロジーが引き起こす長期の社会トレンド4つについて、順に具体的な製品やサービスで見ていく第4~7章です。
普通に読み物としておもしろく読んでいくなかで、「へえ!」とか「は~、なるほど」とか思う指摘がいくつかありました。その一つが44、45ページ。テクノロジーを進化させる第一の力だという「必然性」についてです。
テクノロジーにとって必然性とは、物理法則や自然現象による制約のこと。本書によると、テクノロジー思想家のケヴィン・ケリーは著書『テクニウム』のなかで、「半導体のようなテクノロジーの微小化が指数関数的に進展するのに対して、その逆、つまり拡大化ではそのような効果が出ない」という事例をあげているそうです。理由は、「微小化世界ではエネルギーの供給が大きな問題にならないのに対して、拡大化ではそれを満たすために必要なエネルギー需要が急拡大し、その点が拡大化を目指すテクノロジーの制約になる」から。
なるほど、言われればITもバイオもナノテクも「微小化」の産物です。それらを活用した現代のさまざまな新サービス、例えばネット検索もキャッシュレス決済も人工臓器も電子顕微鏡も、そのものを動かすうえでは大したエネルギーを要しないテクノロジーばかり。この伝でいくと、「拡大化」の方向で生まれるテクノロジーは、必要なエネルギー量が一緒に拡大してしまうので指数関数的進展には向かないということになるのでしょう。
ちなみに、評者が上京以来どこに行くにもお世話になりっぱなしの経路検索サービス(Yahoo!乗換案内とGoogle Map)は、「組み合わせ最適化問題」という数理工学のテーマをITに実装したものだということを、本書で初めて知りました。別名「巡回セールスマン問題」とも言われるこの問題、現在のところ、スーパーコンピュータ「京」をもってしても巡回地点が15ヶ所から20ヶ所へ5個増えただけで処理時間が0.00013秒から243.3秒になるらしく、ちょっと複雑になるともう実用に耐えません(しかも実社会では組み合わせ問題が適用できる分野が多いのだそうです)。
でも量子コンピュータなら、ゲート方式とアニーリング方式という二つの計算方式のうちアニーリング方式を使って問題が解消されるそう。おもしろいのはこのアニーリング方式、組み合わせ最適化問題“しか”解けないそうで、そんな優秀なのに「しか解けない」なんてうい奴め、と、汎用AIならぬ汎用NI(天然知能)を授かった人間さまとしては、つい思ってしまいます。
本書には出てきませんが――執筆時期的にそうなったのでしょうが――6月9日、古河電工と古河電池が、長らく期待されつつ実用化困難とされてきたバイポーラ型鉛蓄電池の共同開発に成功したと発表しました。トータルコストがリチウムイオン電池の半分以下ですみ、「安全・空調レス・高容量」な、リチウムイオン電池の欠点を一挙に解決する夢の蓄電池。市場はすぐに反応し、10日の古河電池の株価は前日比1.19倍の918円、11日は1.16倍の1068円、12日は1.28倍の1368円、土日休場と月曜をはさんで16日火曜には、発表前日の8日に比べて2.68倍の1792円まで上がりました。目ざとい投資家はかなり勝っただろうと思います。
「次のバイポーラ型蓄電池はどれだ?」――そんな意識で本書を読むと、おもしろさ倍増かもしれませんね。