あの頃の俺たちへ。
あの半年間をこんなふうに、あらためて振り返るときが来るとは、思わなかったよ。俺たちの街の、あの青い橋の下の、俺たちが大人になってからつくった、秘密基地のことさ。
俺たちは一緒に成人式を終えてから、1年経って、二十一歳になって。でも本気で社会に出るまでにはまだそれぞれの猶予があって。だから、世間でいうモラトリアムってやつだったんだろうな。「秘密基地つくろうぜ」 ってなったのは、そんな空白の時間が、まるで季節みたいに俺たち4人にめぐってきて、お互いにそうさせたのかもしれないって、思うことがあるよ。
最初は川原で、街の人たちが 「赤い橋」 って呼んでる橋の下で、バーベキューとか花火とかやって遊んでるだけだったんだよな。それが地元の後輩に広まって、親に見つかって、「近所でやっちゃダメ!」 みたいな話になっちまったんだ。遠くならいいのかって話だけど、まあ、親に理屈で返すのも大人気ないから。
初めて4人で 「青い橋」 の下に行ったのは、9月だったかな。雨が降ってた。赤い橋からちょっと歩けば隣にあったんだから、少し遠くなっただけで、実質、親の言う “近所” と変わりゃしない。でも、橋の下で雨を見上げながら、橋の梁の空間に人を入れないためにびっしり檻みたいに溶接された鉄棒が一本飛んでるのを見つけたときは、体が熱くなったよな(笑)。「入れんじゃねえか」 って興奮した声で言ったのは誰だっけ。俺だった気もするし、別の誰かだった気もするし・・・ 忘れちまった。
それからみんなで手分けして、材料をどこから集めてくるか目星をつけて、つくるのは、案外簡単だった。ガキの頃と違って車があるから、ものの3日で、大まかな部分はできちまった。まわりが寝静まった夜の12時ぐらいに集まって、廃材を、建設資材置き場の汚れた型枠板なんかも拝借してきてさ(笑)、俺ともう一人が橋の裏に入って、下の二人から板を受け取って、檻の内側に敷き詰めていって、初めて “床” に体の重みをあずけるときは・・・ ドキドキしたなあ。床ができて下の川原が見えなくなっただけで、「ここは俺たちの部屋だ!基地だ!」 って急に実感したんだ。なあ、そうだったろ? お前も。
でも、あれ、ぜったい怪しかったぜ(笑)。灯りがロウソクと、防災用の自家発電ランプだけだったから、夜中に橋の下で火がゆらゆら揺れてさ、知らない人が見たら怖かったと思うよ。
ロウソクとランプの光で照らされた部屋の中は、4畳ぐらいあった。入り口を挟んだ向こうのスペースも同じくらいあったな。そっちは物置にしてた。タタミとカーペットと絨毯を敷いたら、本当に家みたいになった。梁の鉄板が壁になって、部屋の高さは140センチはあったっけ? 飛び跳ねるには高さが足りなかったけど、あの床は、飛び跳ねたって抜けなかったと思うよ。鉄棒は太さ4センチはあったし、20センチ間隔ぐらいで並んでたから。いっぺんに10人ぐらい入ったこともあったけど、ビクともしなかったじゃん。
それからは、毎晩みんなで集まってさ・・・。朝の3時4時まで酒飲んで、カードゲームで遊んで、カセットコンロでラーメンゆでて食って、ときどき女の子と合コンの鍋パーティもやって(笑)。 楽しかったなあ。
*
その基地も、冬を越して春、4月になる頃には自然に終わった。俺は結婚しちゃったし、お前は美大に受かったし。保育士の専門学校に通ってたあいつも、まぁ、あいつは最初から雰囲気に馴染めなかったみたいだけど、みんなに嘘つくようになったり、借りた金返さなくなったりで、途中から来なくなったじゃん。
その意味では初めから、期間限定の夢っていうか、遊びだったんだよ。公園でダンボールの基地つくって遊んでた子供の頃のあれを、大人になってからもういっぺんやりたくなっただけの、さ。
遊びだったんだよ。やっぱり。変な高揚感っていうか、独特の盛り上がり感あったし、終わりのある遊びだってことは、みんなわかってたはずじゃん。
え? あいつはまだ覚めてないって? 親に借金つくって返せなくて勘当された、あのフリーターの。あいつはなぁ・・・ 寝袋持ち込んで、本気で家にしてたこともあったもんな。この前別の友達ンちで会ったら 『リフォームしよう』 って言ってたって・・・ おい待てよ、お前もやりたいのかよ。『美大の仲間に見せたら受けがいいから』 って、マジ?(笑)
・・・ごめん、もう俺はいい。俺はもうついていけない。だって、あのことは、そんなのじゃなかったはずだろう。また現在進行形で、おんなじように盛り返して、やるなんて・・・。
正直言っていいか。
おれはもうあそこは燃やしちまいたい。
終わりに、したいんだ。
俺たちはいい夢を見たよ。成人式の日に市長がくれた、あの防災用の自家発電ランプにさ、「こんなの使い道ねーよッ!」 って悪態ついてたのが、基地をつくるのに使えてさ。つくった後も、部屋の中の照明にしてさ。みんなで酒飲んで遊べる場所が必要だったってのはあったにせよ、ようは、ガキの頃の基地遊びを思い出してさ、秋から冬、春にかけて、みんなで楽しい夢が見れたわけじゃん。それでもういいと思うよ。
そういえば、一度だけ、そろそろ基地も終わりかなって思ってた4月後半頃に、嫁と一緒にたまたま近くを通りかかったから、橋の下から基地を見せたんだ。そしたら彼女が言ったんだ。
「何やってるの。これ、警察沙汰にならないとも限らないよ。いい年してこんなことやってるなんて、私、あなたを疑う。こんなこと一緒になってやるような友達と付き合ってるのも、どうなの」
・・・俺が基地のことをもう終わってるって感じるのは、べつに、彼女に認めてもらえなかったせいじゃないんだ。むしろ彼女には 「何でわかってくれないんだろう」 って思った。「合コンに来る女の子はみんなわかってくれたのに、なんで嫁はわかってくれないんだ」 って。
今でもそれは同じ気持ちだよ。ダンボールで作った基地に興奮してた俺が、車に乗るようになって、会社で働くようになって、結婚もした。でも俺の中で、オトコノコだった頃の俺は、まだ生きてるんだ。
だったら、あの基地を燃やしたい理由がわからない、って? 俺もわからねえよ。お前らがまだ続いてるのに俺だけ卒業しちまった成り行きを、俺自身がまだ、消化しきれてないから――そう思うことはあるよ。今も何かの拍子で近くに行けば、川原に下りて、基地を見上げてみる。でも、もうあの中に入ろうとは思わない。「もういいよ」 って俺を止めるのは、俺の中の少年か、大人になった俺か。どっちなのかはわからないけど。
あの頃の俺たちへ ―大人の秘密基地の話―