巻末p414に「本書は、建築専門誌『日経アーキテクチュア』および土木専門誌『日経コンストラクション』、日経クロステック(https://xtech.nikkei.com)に掲載した左記の記事などに加筆し、書き下ろしを加えて再構成した」と断り書きがあり、初出が見開きで一覧されています。数えると37本。一番古い記事でも昨2019年5月ですから、建設業界に関する最新の知見を集めたものと言えると思います。
評者はこの種の業界専門誌――学会誌ではないのでまだしも一般向け――を見るたびに思い出す一節があります。大正~昭和期に活躍した評論家の林達夫が書いた、「鶏を飼う」というエッセイの一節です。
「二十羽の鶏をかかえて、私がついに日本の運命のことを考えるに至ったとは、これほど滑稽極まる図はないであろう。‥略‥私は諸君にお知らせするが、日刊新聞や何何情報や何々公論などという気の抜けた印刷物に目を通すひまがあるなら、名もない産業団体の機関誌でも読む方が、日本の現実についてよほど深い認識が得られる。私は養鶏技術や養鶏経営や飼料や家禽衛生などに関する書物もかなり読んで裨益されたが、しかし養鶏雑誌に載っているさまざまの稚拙なルポルタージュから受けた感銘には遥かに及ばなかった。生きのいいことだけでも、今の時世には珍重するに足りると思うものである。」(岩波文庫『林達夫評論集』p40。初出・岩波書店『思想』1940年3月号)
本書は「稚拙なルポルタージュ」などではありませんが、あえて言えばこれと同じ感慨が、読みながら得られると思います。端的で具体的な事実とそれへの分析で成り立った書物というものは読んでいて気持ちがいい。最新情報満載ならなおさらです。街のあちこちで工事現場が立ち上がり、足場組みと防音・防塵シートの囲いが目立ち始めるこの季節、業界に特に興味がなかった人も、本書を頼りに土木・建築建設の世界を覗いてみれば、それこそ林達夫が言うように「日本の現実についてよほど深い認識が得られる」かもしれません。
例えば現在日本の全産業の共通問題である「人手不足」について。本書によれば、建設業界ではそれは「2014年に343万人いた各種建設技能者(職人)が2025年までに高齢化で234万人まで減る」という現実を示しています。3分の1がいなくなるわけです。
また、国策で進んできた「働き方改革」関連法が2024年にはついに建設業界に適用(施行)され、同年4月から残業時間が「月45時間、年360時間まで」に限定されます(違反には罰則)。かといって発注が手控えられるはずもなく、自然災害の激甚化・頻発化、高度成長期のインフラ建造物の補強補修・入替の必要、さらにはコロナ禍を受けて集住から拡散へと居住のパラダイムシフトが起きている現状を見れば、むしろ建設需要は増すはずです。それらを鑑みるにつけ、「ここにもまた日本の縮図がある」と思わずにはいられません。
つまり、本書は現実認識の本だということです。それは業界関係者に限らず、日本に住む一般の人たちが、日本“の”、あるいは日本“という”公共インフラについて、現実認識を深めるのに役立つ本だという意味です。ちょっと話を大きくしすぎかもしれませんが、事実、建設産業はその一産業だけで、関連支出ベースで世界のGDP総額の約13%を占めています(p16「建設産業を知るための基礎資料②」より)。決して実態に比して大きくしすぎではありません。
現実と切り結んだ書籍らしく、さまざまな技術の話が出てきます。そのどれもが、一般の人たちの感覚からは「そこまで行ってるんだ、へー!」と感じ入るものばかり。ロボット、AI、5G、IoT、といったあたりはまだ「ふーん」と思って聞けますが、建設3Dプリンター、モジュール建築、デジタルツイン、VRによる重機の遠隔操作、といった話になると、「えっ、それってどういうの?」と、一段身を乗り出してしまいます。そのどれもが「20年度中に現場に投入予定」とか「21年度中にサンプル施工を行う」とかで、理論実証の段階は終えているところがまたおもしろい。使う立場(=業者)でなくても、「あれって予定通り稼働始まりました?」と開発企業に問い合わせて聞いてみたくなります。
各テクノロジーの詳細については実際の書籍を見ていただくとして、評者の立場を離れて個人的に興味深かったのは、デジタルツインが現実の生活感覚に及ぼす影響です。
「デジタルツイン」とは、本書p389の記述によれば「現実空間を仮想空間にモデル化してシミュレーションなどに活用する技術」。これを活用した筆頭がBuilding Information Modelingで、BIMと略されるこの技術では、ひとつの建築物に関するあらゆる情報が、デザイン設計の段階から完了検査(=完成後に行政庁や指定確認検査機関に申請して建築基準法をクリアしているかチェックしてもらう検査。これに合格しないと建物が使えない)を経て運営管理・メンテナンスの手に渡るまで、三次元のデジタル画像データに蓄積ないしリンクされていくそうです。
施工が進むにつれ奥に隠れて見えなくなる内部構造の情報から、全体の建物のどこに、どの寸法のどの部材がどんな角度で使われ、それは何というメーカーの何という型番の商品かまでアーカイブ化されていく。――ということは、ヘッドマウントディスプレイを付けてアバターになって現実に建っているその建物のデータ空間内を動き回ることもできるわけで、これはもうVirtual RealityというよりPara-Realityと捉えるべきではないか。
アナロジーとしては、評者の感覚では「国境なき記者団」が今年3月に「Mine Craft」内に開設した「Uncensored Library(検閲なき図書館)」が思い浮かびます*1。見えなくなった内部構造が見えるのは、権力に隠蔽された情報を探し出して見ることができることの暗喩です。もうひとつの現実が、事実、立ち上がるという意味で、「仮想」としていてはおかしいと思うのです。
最後も大きな話になったのは、扱うモノがどれもデカイ業界についての本だからでしょうか。何せおもしろい。お勧めします。
*1 国境なき記者団、検閲に対抗する図書館をゲーム「Minecraft」で開設(CNET Japan 2020年3月16日14時13分)