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スペシャルインタビューSPECIAL INTERVIEW

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C.R.Oとして活動を続ける中で、「ピッチの外からサッカーを見るのは新鮮で、学ぶことが多い」と語る中田さん。具体的には、どのような発見があったのか。そして、サッカー界の未来のためにどのような役割を果たそうとしているのか――。
 

クラブ経営者を目指す!

 
 選手の時はチームが勝つために、いかに自分がいいパフォーマンスをするかに集中していました。でも今は、解説の仕事などを通じて、客観的に試合を見る力がついてきたと思います。あとは、もっと経営的な視点から現場を俯瞰して見る意識も養われてきました。例えば、試合が行われるにはどれだけの人が関わっていて、どのような運営をすれば上手く事が運ぶのかなどがわかってきたんです。このような大局的に物事を見る力が現役時代にもあったら、チームのために、もっとできることがあったかもしれない――と思わされることもありますね。
 
 通常、Jリーグを引退した選手は、セカンドキャリアとして指導者の道を選ぶことが多いです。実際僕にも、「鹿島でコーチをしてみたら」という話もありました。でも、鹿島には小笠原満男、本山雅志、曽ヶ端準といった、僕と同期の選手がまだ現役でいますから、コーチとして彼らと接するのは、なかなかやりづらそうだと思ったんです。いじられますからね、絶対(笑)。それに、1度現場から離れたいと思っていたので、今の選択は間違いではなかったと感じています。貴重な経験が積めていますからね。
 
 引退後の選択肢はたくさんあったほうがいいですし、サッカー界のためには、その選択肢を今まで以上に増やす必要があると思う。そうした考えの中で、僕自身はクラブ運営に携わる経営者の道を目指しています。今はスポンサー企業などで働いていた人がクラブ経営者になるケースが多いですが、僕が目標を達成すれば、引退選手の中から後に続こうと考える人も出てくるだろうし、そこは勝手に責任感を持って、頑張っています(笑)。
 
 ただ、僕もライセンスはB級まで取得しているので、来年はA級取得を目指します。将来的にはS級も取りますよ。クラブ経営者になるのが目標と言っても、様々な面からサッカーを見られるようになりたいですからね。
 

 ともかく、今の立場でいろいろなことを吸収していけば、次に進むべき道は自然と開けてくるはず。僕のようなプロ経験者が指導者だけでなく、サッカー界のいろいろな方面で活躍すれば日本サッカーはもっと強くなれるはず。志は高く持って、これからもサッカー界に貢献していきたいですね。

 
 
 

(インタビュー・文 佐藤学 /写真 Nori)

 
 
 
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中田 浩二(なかた こうじ)
1979年7月生まれ。滋賀県大津市出身
 

1998年、帝京高校から鹿島アントラーズに加入。数々のタイトル獲得に貢献した。2005年にフランスのマルセイユに移籍。2006年からはスイスのバーゼルで活躍し、2008年に鹿島に復帰する。2014年に現役を引退した。日本代表では1999年の FIFAワールドユース選手権で準優勝。黄金世代の1人として注目を浴びる。その後、2000年シドニーオリンピックU23代表、2002年日韓ワールドカップ、2006年ドイツワールドカップでも代表選手として大会に臨んだ。J1リーグ通算 266試合33得点、国際Aマッチ57試合2得点。現在は鹿島のC.R.Oとして多方面で活躍している。

鹿島アントラーズオフィシャルサイト
 
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(取材:2015年7月)
 
 
 
 

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