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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

水産物もゆうパックも 
赤い車輌で丁寧に配送

 

会社の転換期に修業から始まり跡継ぎへ

 
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魚吉水産のトレードマークの真っ赤なトラック
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川上さんも見学した、市場内の様子
川上 では、魚吉水産さんの沿革についても、うかがいたいと思います。内海社長は2代目でいらっしゃるのですよね?
 
内海(常) ええ。弊社は私の父が創業した会社で、以前は水産物の仲卸専業でした。1987年に私が経営を引き継ぎ、新たにスーパーなどへの配送を開始しましてね。そしてまだ保冷配送が当たり前だった時代に、いち早く冷凍機付きの冷蔵車を導入したのです。
 
川上 それはやはり、鮮度を保つために──ということですよね。
 
内海(常) そうです。スーパーに鮮度の落ちた魚を運んでしまうと、お取引先様の信用にも傷が付いてしまいます。ですから、車両などの設備投資にはコストがかかるものの、商品を痛みにくくするためには当然の負担だと考えていたわけです。そうした方針で事業を続けているうちに販路も着実に広がっていき、やがてお客様から「魚以外のものも運んでくれないか」と、お声をかけていただけるように。それで運送業務を始め、2006年には運行管理者の資格を取り、本格的に事業を拡大することにしたのです。
 
川上 品物を大切に扱い、お取引先の信頼を第一に考える姿勢が認められていったのですね。その中で内海専務が入社されたのは、いつ頃なのですか?
 
内海(常) ちょうど弊社が運送業務を広げ始めた頃です。今では一般貨物の運送が弊社の事業の90%を占めており、その舵取りは全て息子に任せています。
 
川上 若くして大役を担っていらっしゃるんだ! 内海専務は魚吉水産の3代目にあたるわけですよね。いつ頃から後を継ごう、と考えていらっしゃったのでしょうか。
 
内海(大) それは子どもの頃からですね。なので18歳になってすぐに車の免許を取り、大学に通いながら弊社でアルバイトをしていました。卒業後も、他社に就職することなく、そのまま弊社に入社したんです。
 
川上 後を継ぐ意志を子どもの頃から持っていたなんて、後継ぎとして頼もしいですね。
 
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代表取締役の内海常年さん
内海(常) ええ。ただ私としては、スタッフに「経営者の息子だから甘やかしている」と思われてはいけません。そこで、普通免許を取ってアルバイトとして仕事を始めた翌日に、先輩の助手を1人付けただけの状態で、さっそく2tトラックを運転させました。
 
川上 いきなりですか! それは大変だったでしょう。
 
内海(大) そうですね。その時は緊張しながら運転したものの、無事に帰ってくることができましたし、私にとってはとても良い経験になりました。といっても、普段は弊社のスタッフに私と同じような無茶をさせることはありませんよ(笑)。