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経営者インタビューEXECUTIVE INTERVIEW

臨機応変な金属加工術に
40年の経験が光る

 

逆境の中、卸売から加工へシフトチェンジ

 
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切断加工に水野さんも興味津々!
水野 これまでのお仕事の中で、特に印象に残っているものがあれば教えてください。
 
石田 2014年に羽田空港ターミナルの部品を手がけた仕事が、忘れられません。何千という数の部品を加工する大変な作業でしたが、大きなやりがいを感じました。
 
水野 空港のような大規模な施設に関わる仕事も、引き受けておられるのですね。きっと、業界で信頼されているからこそ、それだけの大仕事も舞い込んでくるのだと思います。石田社長は、業界に入って何年目になるのでしょう。
 
石田 2016年でもう、40年になりますね。もともと私は、金属卸業の会社に勤めていました。そこで20年ほど経験を積んでから独立し、しばらくは金属卸業を続けていましてね。ご依頼によって金属加工が必要となれば、別の金属加工業者さんに作業を委託していたんです。
 
水野 独立時は、自社での金属加工は行っておられなかったのですね。では、どのような経緯で、現在の事業形態に移行したのですか?
 
石田 卸売の現場でも図面に目を通す機会が多かったので、「自分たちで何かをつくりたい」という思いが、日に日に強くなったんです。加えて、卸売だけでは利益獲得が難しくなったという会社運営の兼ね合いもありました。そこで、自社で加工を行おうと一大決意し、レーザー切断の機械を導入したんですよ。確か、2010年頃でしたね。
 
水野 2010年と言うと、リーマン・ショックの影響もあり、日本の景気が良くない頃ですよね。機械設備をそろえるのにも費用がかかり、不安もあったことでしょう。
 
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顧客の要望に沿った金属カットを行う
石田 不安より、希望を抱いていましたね。と言うのも、「世の中が冷え込んでいるときのほうが、頑張らざるを得なくなって成長できるはず」と考えたんです。反対にバブル時代のような浮かれたご時世だと、楽にお金を儲けることばかりを考えて、事業も堕落してしまいがちでしょう。
 
水野 確かに、そうかもしれません。つまり石田社長は、逆境を力に変えようと思い、金属加工業を始められたと。勇気ある決断ですね。きっと、金属業界での長年のキャリアも自信につながったことと思います。
 
石田 息子2人が事業に協力してくれたことも、心強かったです。現在、長男が営業を、次男がプログラマーとエンジニアを担当しています。専門分野のみならず仕入れや配達も任せられる、信頼のおけるスタッフたちですよ。
 
水野 素晴らしいことですね。足立金属さんの加工業は、ものづくりへの夢や、石田社長の熱い仕事観、ご家族の絆など、いろいろな思いに支えられて成り立っているとわかりました。