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かつて“天才”と呼ばれた日本人ライダー・宮城光氏が語るオートバイレースの世界。1997年、これまでレースの世界のありとあらゆることを経験してきた末に、レーシングライダーとしての「原点」に立ち返り、このビジネスの根源にあるものを、見つめ直すことになる──。
 
 
 レーシングライダーは、誰しも「速く走る」ということを追求する前に、整備する、サーキットへ運ぶ、セッティングをする、すべてを一人でこなしてヘトヘトになりながら「どうやったら自分が『プロ』として、速く走れる環境を整えられるか」ということに考えを巡らせるものだったのだ。1997年。レーシングライダーならば誰しもが最初に直面する「洗礼」を、私はキャリアの最後にして味わうことになった。
 
 

レーシングライダーとしての洗礼

 
 事の発端は、私をスポンサードしてくれた日本の飲料メーカー、サンガリアの現地法人社長であり、かつて全日本ロードレース選手権でGP250クラスを戦っていた経験もある石山さんの「今年はGP250クラスに出てみたらどうだ?」という言葉だった。
 1995年に私が自ら立ち上げたチーム「アクション・スピード」時代から私を支えつづけてくれた石山さんの期待に報いたいという気持ちはもちろん、新たなチャレンジへの興味もあって、私はGP250クラスへの参戦を決意した。
 しかし、そのときからうっすらと認識していた問題は、参戦計画を進めれば進めるほどに深刻なものとして明らかになっていった。
 
 GP250クラスは、2ストローク・250ccエンジンを搭載したホンダ「RS250」やヤマハ「TZ250」といった、「市販レーシングマシン」で争われるクラスだ。軽量・ハイパワーで、ラップタイムは私がこれまで参戦してきた市販車ベースの600ccクラスのマシンに匹敵するいっぽう、あくまでもスプリントレースに特化したハードウェアであるがゆえに、パフォーマンスを維持するためにはエンジンやサスペンションといったパーツのライフ(寿命)を、距離で厳密に管理する必要がある。一例を挙げれば、ピストンやコンロッド等のエンジン内部パーツも数百kmで交換だ。
 性能と引き替えに、メンテナンスの手間も、コストも、市販車ベースのマシンとは比べものにならないほどかかる。それがレーシングマシン。車体3台分ほどの金額がスペアパーツ代として消えた。
 
 レースは一人でできるものではない。だが、バイクと予備のパーツを買い、レースの転戦をするためのトラックや、マシンのメンテナンスをするための工具などをそろえ、その他衣食住にかかる金額を算出していったところ、私一人でトラックドライバーとメカニックとライダーを兼務しない限り、レースへの参戦など叶わないということがはっきりとした。
 ・・・石山さんの言葉を受け入れず、市販車ベースのマシンで争うクラスに参戦していればよかっただろうか?いや、そうではなかっただろう。どちらにしてもスタッフを雇うことができるほどの資金は残らなかったし、2年前に私のチームを手伝ってくれたメカニックたちの多くは、私のチームを踏み台として既にプロとして一本立ちし、それぞれの人生を歩み始めていたから、頼ることのできる相手もいない。情けないことだが、遅かれ早かれ、同じ状況になっていたのは間違いない。
 
 

与え、与えられ・・・

 
 「みんな、こうしてレースを始めたのか」。それが、キャリア17年目にしてこの状況に直面し、私が考えたことだった。
 では、私がこれまで、レーシングライダーとして「トップを走る」ことだけを考えてこられたのは、なぜなのか。それを、皮肉にも初めて自分で見つめ直すことができたような気がしていた。
 今ふうの言葉で言えば「Win-Win」などということになるのだろうが、「与えるもの」「与えられるもの」が当人同士の間で釣り合っていることが、「ビジネス」の基本であり、その関係が良好であれば、お互いにそれを拡大していくことができる。これまで、きちんと意識したことも無かったが、私の「やりたいこと・できること」はパートナーにとって魅力的であり、彼らが「受け取る利益」との間で需給バランスが釣り合っていたのではないだろうか──。
 忘れもしない1981年12月5日、知り合いから譲り受けた「ジョニー・チェコットタイプ」と呼ばれたカラーリングのレーシングスーツに身を包み、初めて鈴鹿サーキットにコースインしたときから、だ。
 
 
 
 
 
 
 
 

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